ミュージカル『生きる』観劇レポート:力強く、情感豊かに語られる“絶望の先の希望”
(注・ダブルキャスト双方の舞台写真を掲載しています)従来とは異なる熱気に包まれた客席
席に着き、顔を上げた筆者の前には、これまで“大劇場ミュージカル”では見たことのない光景がありました。前列には30代以上と思しき、大人の男性客がずらり。場内全体を見渡しても、この日は休日ということもあってか、男女半々というより男性のほうが多い印象です。原作である黒澤映画ファンはもとより、ふだんはミュージカルを観ないものの(定年間近の男が病をきっかけに生きる意味を探すという)身近なモチーフに惹かれて来た、と思しき方が多数。いつもとは一味異なる熱気に包まれ、幕が開きます。 薄闇の中に現れた市井の人々、そして“小説家”(新納慎也さんが愛嬌とスケール感に溢れ、生き生きと物語を牽引)が歌い継いでいざなうのは、“どこにでもいる普通の男”の、半年間の物語。まずはこの主人公、渡辺勘治(鹿賀丈史さん)がある朝起床し、いつものように支度をして勤め先である市役所に出勤するさまが、ジェイソン・ハウランドによる滑らかにして緻密な音楽に彩られつつ、描かれます。 朝食を喉に流し込み、背広を着て2階に住まう息子に“行ってくるよ”と声をかけて出かける渡辺。だが若夫婦の耳には届かないのか、反応は無い。勤め人たちの波に揉まれながら市役所に着いた彼は、無言で“市民課長”の席に着き、書類の山を処理してゆく。その淡々とした風情は陳情に来た主婦たち(重田千穂子さんほか)のエネルギッシュな存在感とはあまりにも対照的で、およそミュージカルには似つかわしくなく見える渡辺ですが、思いがけず、自分が末期の胃がん患者であることを知る。
これ以上は無いというほどの必然性で登場するナンバー 打ちのめされ、街をさまよううち、一つの気づきを得て今、この瞬間から生き直そうと思い立つ。それまで時間をやり過ごしているだけと見えていた彼が、絶望の果てに小さな希望を見出してゆく瞬間が、これ以上は無いというほどの必然性をもって、「二度目の誕生日」という歌によって表現されます。 そしてそれを境に、身体的には日に日に弱りながらも、(鹿賀さんがかつて演じた)『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを彷彿とさせる強靭な信念を支えに、何度躓いても困難に立ち向かってゆくキャラクターへと変貌してゆくのです。 2幕では渡辺が主婦たちの声に応えて公園づくりに奔走する姿を描きつつ、彼が上司や同僚を敵に回してでも公園にこだわった理由を、本作のもう一つの主題歌「青空に祈った」で吐露。親子の絆の象徴であるブランコを見事に音で表現したハウランドのメロディに乗せ、鹿賀さんが遠い日々をいとおしむように、しみじみと歌いあげます。 そしてそんな父の心中になかなか気づかないが、自分なりに父を思っている息子、光男を演じるのが、市原隼人さん。歌唱を含めその体当たりの熱演が、映画版ではあまり描かれていない、父子の情というミュージカル版ならではの見どころに大きく貢献しています。
ミュージカル好きにはたまらないシーンも ミュージカルらしさと言えば、2幕でヤクザとその手下たちが繰り広げるナンバー「金の匂い」には音楽、振付ともに『ウェストサイド物語』のような雰囲気があり、演出・宮本亜門さんら、クリエイターたちの遊び心がちらり。ヤクザ役の川口竜也さんが、裏世界に生きる人々のギラつく欲望をナンバーに漂わせます。 また何気なく喋った内容が渡辺に重要な“気づき”を与えることになる元・部下のとよ役・唯月ふうかさんは、明瞭な口跡がアップテンポのナンバーでも活き、快活な中にも光男が誤解するような可憐さが本作に華やぎをプラス。稽古時よりさらに迫力ある歌声で渡辺を威圧する助役役の山西惇さん、何かと嫌みな大野役の治田敦さん、ぷるぷるの“糸こんにゃく”ととよにあだ名をつけられるほど気の小さい山田役の上野聖太さんら、ほかの出演者もそれぞれに“いい味”を出しています。 必要最低限の壁を残し、あとは枠組みだけという渡辺宅のミニマルなセットと、ソフトフォーカスの昭和の街並み写真をコラージュした背景を組み合わせ、時代感と普遍性を絶妙に共存させた美術(二村周作さん)。白い線や黄色の面など、色や形状を変えながら劇世界に豊かな表情をつける照明(佐藤啓さん)も効果的です。
観た人が“これは自分の物語だ”と思えるミュージカル 終幕後のカーテンコールでは、前列の男性陣を含め、場内は総立ちに。“人はいつでも生まれ変わることができる”“いつ死ぬかではない、どう生きるかだ”等、様々な感慨が場内に溢れますが、最も多くの人が抱くのは“これは自分の物語だ”という思いかもしれません。丁寧に練り上げられ、東京の劇場で連日、多くの人々の心を揺り動かしている本作が今後、どのように展開してゆくのか。作り手たちが目標としているように、海外で上演されることがあるのか。誕生を見届けた者としては、楽しみが尽きません。
(前ページでは市村さん=渡辺役、小西さん=小説家役、May’nさん=とよ役バージョンの稽古レポートを掲載しています)