『生きる』稽古場レポート
丁寧に、躍動感をもって描き出される、名もなき男の魂の軌跡(この日の配役 渡辺=市村正親さん、小説家=小西遼生さん、とよ=May’nさん)
「では通し稽古を始めます」。和やかだった空気が一瞬にして引き締まり、さざ波のように稽古ピアノの音が響き始める。現れた人々が“ある男が”“ある日死んだ……”と一節ずつ、割り台詞風に歌い継いでいると、中央に歩み出た男(後に“小説家”であることがわかる)が、主人公との出会いが“俺を目覚めさせた”と歌う。演じる小西遼生さんの憂いと温かみを湛えた声が、聴く者を物語世界へと引き込んでゆく……。 小説家が回顧するその男、渡辺の物語は、ある何気ない一日からスタートします。いつものように目覚まし時計とともに6時に起きた彼は、淡々と身支度をすませ、勤続30年の市役所へ。市民課長の席に座り、山積みになった書類に判を押していると、主婦の一団が“近所に公園を作ってほしい”と陳情に現れます。
なるべく仕事をしたくない職員たちと、たらいまわしにされる主婦たちの攻防。エネルギッシュに展開するナンバーと、黙々と同じ作業を繰り返す渡辺とのコントラストが鮮やかですが、何より渡辺役・市村正親さんの、そこにいることすら感じさせないほど存在感を打ち消した演技に驚かされます。
その後、腹痛が気になった渡辺は病院を訪れますが、待合室で知ったかぶりの患者(佐藤誓さんの悪意たっぷり?な歌唱がユーモラス)に“胃潰瘍だといわれたときには胃がんと思うべき”と言われ、おびえながら診察室へ。医師からまさにその言葉を告げられた彼は衝撃を受け、帰宅すると別件で息子と口論。いたたまれず、飲み屋へと向かいます。
筆者はこの時、台本を読みつつ見学していたのですが、この居酒屋のシーンでハッと息を呑む瞬間がありました。渡辺が居酒屋で出会った小説家に、金の使い道を教えてくれるよう懇願するくだり。特に文学的というわけではなく、一般的には一括して一つの感情とともに発せられそうな台詞を、市村さんがある二音を立てて発したところ、一瞬にして場の空気が変わったのです。
おそらくはその台詞が何を伝えようとしているのか、市村さんが丁寧に吟味し、発した結果、生まれた変化だったのでしょう。どんなに些細に見える言葉も、見逃さない。静かな場面でこそ際立つ“演技の真髄”に心の中で唸っていると、場面は渡辺の求めに応じて小説家が案内する歓楽街へ。歌い踊り、騒ぐ人の群れに染まることができず、飛び出してしまう渡辺。ここでも人々が醸し出す猥雑な空気と、渡辺の絶望が好対照をなしています。 路上にうずくまった渡辺に声をかけたのは、市役所の同僚とよ(演じるMay’nさんがさっぱりとした自然体で、嫌みのない、快活な役柄にぴたりとはまっています)。彼女に心を許し、自分の病状を語った渡辺は“このままでは死ねない”。どうしたら君のように活き活きと生きられる?と問い、とよの何気ない一言に心動かされ、“今日が二度目の誕生日だ”と決意します。
サイトにもアップされている一幕ラストのこのナンバー「二度目の誕生日」を、市村さんはつぶやきから入ってはじめの段落はほぼ台詞のように発し、ミュージカルというよりむしろシャンソンのように膨らませてゆく。そして溢れる思いを乗せて力強く放たれる、最後の二音。命の期限を知った渡辺がここで初めて“生”に目覚める姿に、思わず胸が熱くなりますが、歌唱が終わると場内に大きな拍手が。筆者は稽古場でこのような拍手を耳にした経験はありませんが、誰が先導したものでもなく、この空間にいる人々の内面から自然に沸き起こった拍手であることは歴然。これまでに観たことのないタイプの舞台が生まれる予感の中で、休憩時間を過ごしました。 “ネタバレ”回避のため2幕の詳細は割愛しますが、1幕の大部分で“本当の意味では生きていなかった”渡辺が痛みと戦いつつ、見違えるような行動派に転じる姿が大きな見どころ。彼の前に立ち塞がる市の助役役・山西惇さんも堂々たる発声で“煮ても焼いても食えない”上司を体現しています。
そして物語が進むにつれて存在感を増してゆくのが、渡辺の息子・光男役の市原隼人さん。父に反感を抱く彼が、周囲の人々を通して真実を知り、どう変わってゆくか。以前出演されていたTVドラマ『リバース』での演技を彷彿とさせる魂のこもった演技で、本作が“父と子の物語”であることにも気づかせてくれることでしょう。
新作とあって日々、ブラッシュアップを重ね、筆者が見学した(すでにかなり終盤の)通し稽古の後も、楽曲や台詞が変わっていると聞く今回の舞台。本番ではどんな姿を見せるのか、興味は尽きません。
*次頁で『生きる』観劇レポートを掲載しています!
*公演情報 ダイワハウスpresents ミュージカル『生きる』10月8~28日=TBS赤坂ACTシアター(10月7日プレビュー公演)公式HP