大山康晴賞受賞
以下は団長の許 建東(きょ けんとう)氏と事務局長の恵下 雄二(えげ ゆうじ)氏へのインタビューである。ガイド「許先生、恵下さん、よろしくお願いします。まず、許先生、大山康晴賞の受賞おめでとうございます」
許氏「ありがとうございます。よろしくお願いします」
許氏は本年度の大山康晴賞(ガイドは将棋界の文化勲章と位置づけている)を受賞した。中国における将棋普及と長年に渡る日中交流事業の実施がその理由だ。将棋の総本山・日本将棋連盟も認めた許氏の活動。恵下氏は、もともと、将棋のテレビ番組を担当するディレクター。退職後、許氏の活動に共鳴し、現在は中国に居を構え、支えている。2人は実ににこやかな表情で語ってくれた。
将棋は体育
大分到着の日、一行は別府市役所を表敬訪問。ガイドも陪席していた。そこで、ガイドには不思議な光景があった。この訪日に上海市体育局の主事が同行していたのだ。ガイド「表敬訪問、お疲れ様でした。」
ガイド「ところで、今回、体育局の主事さんも同行されていますが、なぜ、将棋が『体育』局なのですか?」
多くの人が抱く疑問ではなかろうか。将棋は文化系であり、体育系とは縁遠い。それがガイドの認識だった。
恵下氏「そう思われますよね。でも、中国では将棋は頭脳スポーツなんです」
ガイド「頭脳スポーツ!!」
恵下氏「これ、実は、世界的には珍しいことではないんです。囲碁も含め、頭脳スポーツという認識なんですね。だから、五輪の種目にしようという動きすらあるんです。むしろ日本の捉え方が特殊と言えるかもしれないです」
なんと、盤や駒もスポーツ用品コーナーで販売されているという。いやはや、ガイドにはコペルニクスなみの発想転換が必要だ。
許氏「上海では将棋が公立学校の授業で指導されているんですが、体育の授業の一環なんです」
驚愕の将棋人口
上海の学校では音楽や美術、体育は課外授業とされ、その指導内容や時間は学校長の裁量に任されているという。許氏「将棋に取り組む学校の子ども達の学業成績が伸びた、礼儀が正しくなった、そんな効果が報告されると、その学校に、たくさんの子が入るんです。すると、他の学校も将棋をやってみようということになります。そうやって広がっていったんですね」
恵下氏「その授業で年間に2万人くらいの子が将棋に接するんです」
ガイド「2万人!!」
許氏「だから、指導者が足りないんです。これが問題です」
将棋発祥の地、日本をはるかに超える取り組みだ。これまでに100万人を超える子ども達に将棋が指導されたという。
恵下氏「これ、誤解されやすいんですが、100万人全部が将棋を愛好し、今でも続けているわけじゃないですよ。やめちゃった人も多いです。でも100万人が日本の将棋を知ったという事実は大きいと思います」
象棋と将棋の違い
恵下氏の発言を少し補充しよう。実は中国には象棋(シャンチー)という盤上競技がある。将棋やチェス同様、インドのチャトランガを祖先とする競技だ。日本では象棋を中国将棋と呼ぶ場合がある。だから、あえて日本の将棋と語ってくれたのだ。その件に関連して尋ねた。ガイド「中国の象棋ではなく、なぜ、日本の将棋を普及しようと思われたのですか?」
恵下氏「実は、許さんは象棋大会で優勝するほどの腕前なんですよ」
許氏「もう20年以上前になりますが、会社員だった私は研修で日本を訪れました。そこで、将棋を知ったのです。象棋の知識があったので、すぐに親しむことができました。象棋も素晴らしい競技です。でも象棋では取った駒が使えません。将棋は取った駒が使えます。全部の駒がいつまでも生きている。そこに魅力を感じました。また、日本では、将棋が礼節を重んじる文化として確立していることを知りました。その深さ、良さを中国でも広めたい。そう思ったのです」
苦労も多かった。上海の人には、ルールどころか名前すら聞いたことがない競技。まずは、知ってもらわねばならない。大きな理想は、小さな積み重ねの上にしか実現できぬもの。時間を惜しまず、私費を投じることもいとわない。時に盤駒を手作りし、子ども達に触れてもらう。しかし、途中で投げ出すという選択はなかった。
許氏「継続を説く私が続けられなかったらいけません。何より、教えた子ども達が大人になって、私の所にやってきてくれた時に、私がやめていたらがっかりします。そんな思いはさせられません」
小さいながら将棋教室を開くガイドにとって、気を引き締められる言葉だった。
日中愛棋家の親睦
その晩、拙宅に両氏、そして北京で普及活動をされる李氏を招き、一献傾けた。幸いにも、大分の焼酎や地酒を喜んでくれた。話は将棋から始まり、日本での思い出、中国の経済発展から家庭での様子、烏龍茶まで多岐にわたり、時間を忘れさせてくれた。大分・上海・北京の愛棋家6名がまさしくご縁で結ばれた一夜となったのだ。しかし、この親睦の宴は序章に過ぎない。ここからが本章である。言葉の壁を軽々と超える子ども達
翌日、中国の子ども達と大分の子ども達が交流将棋大会を行った。両国からの子ども参加者47名、大人の観戦も含め100名以上の熱気で沸く大会会場、別府市公会堂。テレビや新聞の報道陣もやってきた。その沸騰の中に、言葉の壁を軽々と超える子ども達の対局姿があった。共通言語としての将棋が持つ力をあらためて認識しする一日となったのだ。これこそ、まさしく本章。ガイドの胸は熱くなった。両氏の目も心なしか潤んでいた。最後に両氏の言葉を紹介したい。
来春、3月。上海で日中子ども将棋交流大会が開催されるという。本章は、まだまだ続くのである。そう、行ったり来たりしながら……。「交流は行ったり来たりです。有田さん、今度は中国に子ども達を連れてやってきてください」
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述/画像に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事の初公開時を現時点としています。
(2)ガイド撮影の画像については、すべて個人情報の取扱において許可を得ています。