自然と文化の価値を備えた複合遺産「ンゴロンゴロ保全地域」
世界遺産「ンゴロンゴロ保全地域」といえばンゴロンゴロ・クレーター。クレーター内部に閉じ込められた野生動物たちの楽園で、いつでも動物たちと出会える「天然の動物園」だ。でも、実は世界遺産としての「ンゴロンゴロ保全地域」の中でンゴロンゴロ・クレーターはそのほんの一部。世界遺産の資産(登録範囲)の面積は約8100平方キロメートルで、静岡県や宮崎県より少し大きい。この中にンゴロンゴロ、エンパカーイ、オルモティという3つのクレーターが存在し、ンゴロンゴロ・クレーターは260平方キロメートルを占めるにすぎない。
下のマップで資産を示したので確認してほしい。拡大するとクレーターがハッキリ見える。
■世界遺産「ンゴロンゴロ保全地域」資産(Googleマップ) もともとこの地は世界遺産にもなっているセレンゲティ国立公園の一部だったが、1951年に国立公園に指定された際に、遊牧生活を行っていたマサイ族の人々が追い出されそうになったことから反対を表明した。タンザニア政府は古くからこの地で暮らす彼らの権利を認め、1959年にマサイ族の居住を認めたンゴロンゴロ自然保護区を分離・設立した。
世界遺産としては1979年に自然遺産として登録されたが、2010年に猿人や原人の化石が発掘されたオルドヴァイ峡谷やラエトリ遺跡といった文化遺産を加えて複合遺産に拡大された。
このため「ンゴロンゴロ保全地域」の見どころは、クレーター、その周辺の大自然、マサイ族の村、化石地帯と非常に多彩。おまけに観光の拠点となるアルーシャやモシといった町からは世界遺産「セレンゲティ国立公園」や「キリマンジャロ国立公園」も訪ねることができる。一粒で二度も三度も美味しい世界遺産なのだ。
以下ではその見どころを順番に紹介していこう。
サバンナの生態系を閉じ込めた天然動物園、ンゴロンゴロ・クレーター
東西約22キロメートル、南北約20キロメートルを誇るンゴロンゴロ・クレーター。300万年前の噴火でできた巨大なカルデラ(火山活動によって凹地状に窪んだ土地)で、外縁部は標高2400メートル、内部は1800メートルと、約600メートルも落ち込んでいる。この600メートルの火口壁に囲まれたクレーターの内部では、ゾウ、サイ、ライオン、ヒョウ、バッファローの「ビッグ5」を筆頭に、チーター、ハイエナ、ジャッカル、カバ、ヌー、シマウマ、ガゼル、ダチョウなど25000頭以上の大型哺乳動物が生息している。こうした動物たちの多くはこの壁の内部で一生を終えるため、季節に関係なくいつでも動物たちを観察できる。
IUCNレッドリスト絶滅寸前種のクロサイ。かつてはクレーター内に200頭を超えるクロサイがいたが、密漁により1970年代に25頭まで落ち込んだ。現在回復傾向にあり、約50頭が生息している (C) Brocken Inaglory
クレーター内部では4WDで動物たちを観察して回るサファリが楽しめるほか、クレーターを見下ろす周囲の外縁山には6つのクレーター・ロッジがあり、近代的な設備の中で絶景が堪能できる。
【関連サイト】
- andBeyond Ngorongoro Crater Lodge(最高評価のクレーター・ロッジ、アンドビヨンド・ンゴロンゴロ・クレーター・ロッジ。英語)
クレーターの周辺も見どころ多数! ンゴロンゴロ・ハイランド
標高2000メートル近い高地に展開する「ンゴロンゴロ保全地域」の一帯は「ンゴロンゴロ・ハイランド」と呼ばれている。北はセレンゲティ国立公園、南はレイク・マニャラ国立公園、西はマスワ・ゲーム・リザーブと保護区に囲まれており、動物たちはこの辺りをダイナミックに移動している。乾季の5~7月になると、ヌーやシマウマをはじめとする200万頭を超える動物たちはこの地を通って北へ移動する。草が生い茂る雨季の11~1月になると、反対に南へ帰ってくる。「グレイト・ミグレーション(大移動)」だ。
ンゴロンゴロの北西端に位置するンドゥトゥ湖では、雨季がはじまる11月頃から動物たちが集まりだし、いっせいに繁殖期を迎える。親子連れのかわいらしい草食動物たちと、それらを狙うライオンやチーターといったプレデター(捕食者)たちの野生の姿が見学できる。ここはクレーター内部と違って指定路以外への立ち入りも認められているので、動物が見やすいことで知られている。
歩いて湖を巡る「ウォーキング・サファリ」で知られるのがエンパカーイ・クレーターだ。直径7キロメートル、高さ300メートルほどのクレーターで、1/4ほどをエンパカーイ湖が占めている。季節によっては湖畔をピンクで埋め尽くすフラミンゴの大群が見学できるほか、ヒョウ、バッファロー、ハイエナ、ヒヒなども生息している。クレーターの外縁にはキャンプ場があり、テントで眠ることもできる。 ンゴロンゴロ・ハイランドの多くはサバナだ。日本では「草原」と訳されるが、乾季には砂と石が転がる半ば砂漠と化す。シフティング・サンズはその名の通り移動を続ける黒い三日月型の砂丘で、年15~20メートルの割合で移動している。
こうした大地では川の浸食を受けて深い谷が刻まれることがあり、全長14キロメートルのオルドヴァイ峡谷や全長8キロメートルのオルカリエン渓谷といった谷も見どころとなっている。大地が100メートル近くもえぐられているため地層が剥き出しになっており、これらの谷ではさまざまな化石が発見されている。
【関連記事】
- セレンゲティ国立公園/タンザニア(グレイト・ミグレーションについてはこちらを参照)
人類の故郷オルドヴァイ峡谷とリーキー夫妻の活躍
人類史に大きな一歩を刻んだリーキー夫妻とオルドヴァイ峡谷の物語を紹介しよう。1903年、ケニアでキリスト教布教を使命としていたイギリス人宣教師の元に生まれたルイス・リーキーは、少年時代から諸民族の品々や化石・石器を集めていた。すでにネアンデルタール人やジャワ原人の化石が発掘されており、ダーウィンの進化論は知られてはいたが、人間がサルから進化したなどと本気で信じている者は少なかった。
そんな時代だったが、リーキーは少年時代に発見した石器がアジアの原人が使っていた石器と似ていることを知っていた。「人類はアフリカ、それもこの東アフリカで生まれたに違いない!」。いつしかこの謎の解明を夢見るようになっていた。 20代後半、1929~31年にかけてオルドヴァイ峡谷で石器を発見したものの、戦争の混乱などもあって長いあいだ大きな発見に恵まれることはなかった。そして30年もの時を経た1959年、妻メアリーとともに夫妻はついに猿人の完全な頭蓋骨を発見する。「ジンジャントロプス」と名づけられたこの化石は180万年前のものと鑑定され、世界を驚愕させた(現在ではアウストラロピテクスの一種とされている)。
さらに翌年1960年、ジンジャントロプスよりはるかに人間らしい化石を発見する。脳の大きさはアウストラロピテクスの1.5~2.0倍に及び、人類の進化を裏付ける有力な証拠と考えられた。同時代の地層からは大量の打製石器も発掘され、彼らが道具を使っていたことも判明した。夫妻はこれを「最初の人」と考え、「器用な人=ホモ・ハビリス」と命名する。このホモ・ハビリスこそ猿人と原人をつなぐ最初期のヒト属(ホモ属)と考えられている(アウストラロピテクスはアウストラロピテクス属)。
夫妻はオルドヴァイ峡谷の周辺でも多くの化石や石器を掘り出している。一例が峡谷の南西40キロメートルほどに位置するラエトリ遺跡で、ここで発見されたアウストラロピテクスの足跡は、彼らが直立二足歩行をしていた証拠と考えられている。
誇り高き遊牧戦士マサイ族の故郷、ンゴロンゴロ
ンゴロンゴロ保全地域は、自然とともに生き、持続可能な生活を続けるマサイ族の生活を守るためにセレンゲティ国立公園から分離されたものだ。いまでも域内には約42000人のマサイ族が暮らしており、彼らの村への訪問も観光客に人気のアトラクションとなっている。マサイ族の男性の主な仕事は牧畜だ。域内では牧畜のための移動が認められており、雨季は広大な平原でウシやヒツジ、ヤギ、ロバなどを飼い、乾季になると草が茂る山地に移動する移牧が行われている。ちなみに「ンゴロンゴロ」の由来は、彼らがウシの首につけたカウベル(鐘鈴)が「ゴロンゴロン」となる音に由来するといわれている。
マサイ族は誇り高い戦士として知られており、かつて男性は武器以外の物を持つことを恥とし、戦闘や牧畜以外の仕事はいっさいしなかったという。成人する若者にはライオン狩りが義務づけられ、槍と盾のみでライオンに立ち向かっていたと伝えられている。 マサイ族の村は肉食獣から家畜を守るためにアカシアなどの木の囲いによって囲われている。家々は木の枝に草・泥・牛糞・灰などを混ぜて造られており、移動が続く遊牧生活に対応してシンプルに仕上げられている。
男性が力を誇示する一方で、女性は衣装やビーズ、ボディ・ペインティング、宝石などで装飾し、その美しさを競う。マサイ族といえば赤い格子柄のカンガ(一枚布)で知られるが、村や部族・家族によって色や柄はさまざまだ。
マサイ村へのツアーでは、こうした昔と変わらぬ彼らの生活の様子を見学することができる。
グレート・リフト・バレー(大地溝帯)とンゴロンゴロの誕生物語
サバナの形成や人類の進化に大きな影響を与えたといわれるンゴロンゴロ・ハイランド誕生の歴史を解説しよう。東アフリカ北部からアラビア半島辺りの地下にホット・プルームが上昇しているといわれている。ホット・プルームとは、地球内部のマントル層で熱せられた岩石や溶岩で、これによって大地が隆起すると同時に、下からの圧力によって左右に引き裂かれている。こうして誕生したアフリカ南部から西アジアに至る南北7000キロメートルの裂け目がグレート・リフト・バレー(大地溝帯)だ。
プルームによる隆起やそれに伴う火山活動によってエチオピア高原やアフリカ最高峰のキリマンジャロ山などが造成された。かつてはンゴロンゴロにも標高5000メートルに達する巨大な火山が存在していた。
ところが300万年ほど前にはじまった激しい噴火によって火山は吹き飛び、3つのカルデラを残して崩れ去ってしまった。ンゴロンゴロ、エンパカーイ、オルモティの3つのクレーターだ。火山灰や山の崩壊が周辺の湖沼や川や湿地を埋め立てて、さまざまな動植物を飲み込んだ。これが化石となっていまに伝わっている。 東アフリカに生まれたこうした山々によって海の湿った風(赤道西風)が内陸に運ばれなくなると、土地は急速に乾燥化して森が失われ、半砂漠の草原地帯サバナへと姿を変えた。サバナ進化説によると、森で生活していたサルたちは草原を歩く必要から二足歩行へと移行し、直立することで脳が発達し、自由になった手を使って道具を編み出したという(ただし、さらに古い猿人の化石が中央・南アフリカで発見されていることから否定的な意見も少なくない)。
グレート・リフト・バレーは現在でも年間2.5~5.0センチメートルほどの速さで裂け目を広げており、今後5000万年以上をかけてアフリカを東西に引き裂き、ふたつに分裂すると考えられている。ンゴロンゴロは生命のように活動を続ける地球の最前線の姿なのである。
「ンゴロンゴロ保全地域」への道
■エアー&ツアー情報最大の観光拠点はアルーシャ。アルーシャにはアルーシャ空港があるほか、40キロメートルほど東にはキリマンジャロ国際空港がある。他にもキリマンジャロの麓の町モシなどからもサファリが出ている。日本からの直行便はないので、1~3度ほど乗り換えが必要となる。格安航空券で13万円前後から、ツアーは8日間30万円前後から。
アルーシャやモシなどからはさまざまな種類のサファリが出ており、現地で気軽に申し込むことができる。オルドヴァイ峡谷やセレンゲティ国立公園を同時に訪ねるものが人気だ。 ■周辺の世界遺産
世界遺産「セレンゲティ国立公園」と隣接しており、「キリマンジャロ国立公園」も170キロメートルほどしか離れていない。拠点となるアルーシャやモシからはこれらの世界遺産へのツアーも出ている。また、アルーシャの南180キロメートルほどには「コンドア・ロックアート遺跡群」がある。
タンザニア最大の都市ダルエスサラームを経由する場合は、ダルエスサラームからザンジバル島に船が出ているので「ザンジバル島のストーンタウン」を訪ねるのもおもしろい。
「ンゴロンゴロ保全地域」のベストシーズン
観光の拠点となるアルーシャは赤道から80キロメートルほどしか離れていないが、標高が約1400メートルと高いため、気温は安定していて湿度も低く、1年を通して過ごしやすい。気温が高いのは雨季の11~4月で、平均最高気温は28度、最低は15度。低いのは乾季の5~10月で、平均最高気温は23度、最低は11度。熱帯というほど暑くはなく、朝晩は寒いこともある。雨は少なく、降水量がもっとも多い雨季の3月でも40ミリメートル程度(東京でもっとも少ない12月で50~60ミリメートル)。乾季はほとんど雨が降らない。
ンゴロンゴロはクレーター内に留まる動物が多いので、それほど季節は気にしなくてもよい。「セレンゲティ国立公園」や「キリマンジャロ国立公園」など、同時に訪れる場所のシーズンに合わせた方がいいだろう。
タンザニアの一般的な雨季は12~6月で、特に4~5月が大雨季となる。セレンゲティで動物たちの大移動グレイト・ミグレーションを見たい人は、ケニアのマサイマラ国立公園へ移動する5~7月か、セレンゲティに戻ってくる11~1月がベスト。キリマンジャロ登山は、気候が安定する1~2月と7~9月がベストとされている。
世界遺産基本データ&リンク
【世界遺産基本データ】登録名称:ンゴロンゴロ保全地域
Ngorongoro Conservation Area
国名:タンザニア
登録年と登録基準:1979年、2010年拡大、複合遺産(iv)(vii)(viii)(ix)(x)
[関連サイト]
- セレンゲティ国立公園/タンザニア
- キリマンジャロ国立公園/タンザニア
- ザンジバル島のストーンタウン/タンザニア
- Ngorongoro Conservation Area Authority(管理局の公式サイト。英語)
- Tanzania Tourism(タンザニア観光局。英語/スワヒリ語)
- タンザニア連合共和国大使館(日本語公式サイト)
- 外務省 海外安全ホームページ