不運な出来事に怒りを感じてしまうのはなぜ?
受けるストレスは同じ。そのストレスを抱える人と溶かす人がいる
こうしたストレスにショックを受けるのはみな同じです。そして、それらの出来事や人に対して怒りを感じたり、憎しみを抱えたり、自分を卑下したりといったネガティブな感情に囚われてしまう人は少なくありません。
例えば、身近な人間関係の中で誰かから意地悪なことをされたり、嫌なことを言われて傷ついたとします。こうした場合、多くの人は相手に対する警戒心や憎しみ、怒りなどのネガティブな感情を募らせてしまうでしょう。そしてその相手と顔を合わせるたびに、緊張したり、「いつか仕返しをしてやる」「罰が当たればいい」といった思いを持ち続けたりしてしまうものです。
その一方で、同じようにストレスを受ける出来事や人に遭遇しても、そのストレスを“溶かす”力を持つ人がいます。それが、降りかかるストレスに「ありがとう」という感謝の気持ちを感じる人なのです。
「ありがとう」と共に、深い心の傷から回復した人
例えば、私の知人にもこんな人がいます。彼女は嫁ぎ先の義父母からひどいモラルハラスメントを受け、夫も自分の味方になってくれず、うつ病になり離婚をしてしまいました。その後1年半ほど実家に引きこもり、地獄に落ちたような気持ちで毎日を送ったと言います。しかしある日ふと「元義父母と元夫は、自分に新しい人生を生き直すきっかけを与えてくれたのかしれない……」という気持ちが湧き、「ありがとう」と思える気持ちが浮かんだのだそうです。
その方はその後、ある会社に就職をして一生懸命働きました。今では社長の右腕としてのポジションを任され、スタッフと一丸となって会社を成長させています。仕事を通じてたくさんの出会いや経験を重ね、新たなパートナーとの生活も始めています。
「私はもともと依頼心が強く、“稼いでくれる夫”に精神的に依存していたんです。しかし、離婚をきっかけに“与えてもらうこと”ばかりを当てにしても、人生はうまくいかないことを学びました。そして、自分の力で生きること、仕事を通じて人の役に立てること、そしてパートナーと対等に付き合える喜びを知ることができました」
「離婚という経験のおかげで生まれ変わることができた」……彼女はそう言って、元義父母や元夫に今では心から感謝しているのだそうです。
否定的な気持ちを持ち続けると、ストレスから離脱できない
「豊かさの種」を育て、手のひらいっぱいの感謝の花を咲かせてみませんか?
もちろん、モラルハラスメントなどを認めるわけではありません。しかし、この方のように遭遇してしまった不運やそれを与えた相手に対して「ありがとう」を感じられるようになると、ストレスを“溶かす”力を手にできるようになるのではないかと思います。
心からの「ありがとう」を感じられるようになるには、時間がかかるかもしれません。しかし一度つらい状況に落ち、そこから復活する過程で「ありがとう」を実感できるようになれば、過去、現在、未来、そして周りに存在するたくさんのことに「ありがとう」を感じる「豊かさの種」を手に入れることができます。
自分を貶めた憎い相手……仏教でいう「逆縁の仏」とは
仏教には「逆縁の仏」という言葉があります。自分を不運に貶めた人は一見“ひどい人”に思えます。しかし、その経験からたくさんのことを学び、成長することができたら、その人は自分の魂のレベルを上げるきっかけをくれた「仏様」だということになります。人は、逆境から多くのことを学びます。それどころかむしろ、逆境こそ人間を最も大きく成長させてくれるチャンスということもあるでしょう。
人間は、不運を回避するために日々注意、警戒して生活しています。そのため、自分だけの力では飛躍的に成長するチャンスを設定しにくいのです。そのため、思いがけず受けた不運こそが、自分の魂を何段にもレベルアップさせるよい学びの機会になります。
ひどい仕打ちをした相手は、社会的にも許容されるべきではないかもしれません。しかし人に「恨み」の感情だけを持ち続けていても結局自分自身の成長もなく、ただ相手への憎しみと自分への同情が続くだけです。不運というチャンスに気付くことができれば、「ありがとう」の気持ちは自然に湧いてきます。すると徐々に、自分の周りにあるたくさんのチャンスにも気付けるようになるのです。
「ありがとう」の魔法はあらゆる人やものに広がっていく
「ありがとう」の気持ちは波のように広がっていきます。日々の暮らしが送れることにも、ありがとう。いつもそばにいてくれる人にも、ありがとう。仕事のチャンスを分け与えてくれた方にも、ありがとう。困らせる人、苦労させられることにも、ありがとう。この世界に誕生させてもらえたことにも、ありがとう、というように。
そして、自分が「ありがとう」を感じれば、相手からも「ありがとう」が返ってきます。
「ありがとう」の言葉の意味は「有り難い」こと。つまり何気ないこと、「普通」だと思えることも、実はとてつもないチャンスのめぐりあわせによっていただけたものなのだと、実感できるのです。
もしもあなたが今苦しみの中にいるなら、その苦しみになぜ今自分が直面しているのかを感じてみてください。「ありがとう」の扉が開かれるかもしれません。