『紳士のための愛と殺人の手引き』観劇レポート
キャストたちの確かなパフォーマンスが奏でる
スリリングにしてラグジュリアス、
上質のミュージカル
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
か弱い心臓の観客に「(これは)復讐と天罰の話です、早いとこお帰りを」と忠告するアンサンブルのコーラスで始まる舞台。小原和彦さんらの低音が効いた厚みのある合唱に引き込まると、舞台ではロンドンの刑務所で刑の執行を待つモンティの回想録として、これまでのあらましが語られます。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
母親を亡くして絶望の淵に立つ青年モンティのもとを、ミス・シングルと名乗る女性が現れ、彼が実は貴族ダイスクイス家の末裔であることが伝えられる。はじめこそ狐に包まれたようなモンティですが、比較的すぐにその話を信じ、ミス・シングルと踊りだす……。地味な扮装をしていてもどことなく育ちの良さを漂わせ、大真面目に“運命”に乗っかってゆくウエンツ瑛士さんのモンティ、上々の滑り出しです。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
ダイスクイス家の一人で銀行家のアスクイス・ダイスクイス・シニア(市村正親さん)に手紙を書くも、血縁関係を否定されたモンティは、やはり一族の一人である聖職者エゼキエル(これも市村さん)に会いに行くが、取り次ぎを断ったエゼキエルはバランスを崩し、塔からはるか下の地面へ……。このエゼキエルという人物、まずは突風に吹かれて前頭部の髪がつるんと吹き飛び、短く笑いを取った後で、なんともアナログな仕掛けで転落。“某ミュージカルの代名詞的作品”のあの人物の自殺シーンを彷彿とする演出で、ミュージカル・ファンをにやりとさせます。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
自分の前に爵位継承者が8人もおり、伯爵になれなければ莫大な財産とも無縁のモンティは、エゼキエルの事故死(?)の後、一気にその可能性を追求し始める。銀行家の放蕩息子ジュニア(こちらも市村さん)は恋人とスケートを楽しんでいるところを、氷にちょいと小細工をして……。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
養蜂が趣味のヘンリー(再び市村さん)は蜂の特性を利用して……と、事故を装った完全犯罪を繰り返し、その間にちゃっかり、ヘンリーの妹で箱入り娘のフィービー(宮澤エマさん、周囲の状況おかまいなしに思ったことを発言してしまうお嬢様役を上品に演じています)ともいい仲に。彼女が恋に目覚めるナンバーのため、花園にはヴィクトリア朝風装飾のシーソーが置かれ、実際にモンティが彼女を乗せるなど、各場面を引き立てるために用意された小道具の豪華さも目を引きます。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
以降も続く、爵位継承者たちの“偶然の”連続死。慈善活動家レディ・ヒヤシンスのくだりでは彼女の強靭な生命力がコント番組よろしく大仰に描かれて爆笑を誘い、軍人バーソロミューの場面では市村さんの華麗な足上げという“おまけ”の後にクラシカルな手品を駆使してその“事故場面”を見せ、どうやら大変な大根女優(?)であるらしいレディ・サロメは、一瞬の出番だけで消えてしまう。わずか32秒の早替えを含む老若男女の鮮やかな演じ分けで観客を驚かせ、それぞれの“おバカな”最期で茶目っ気たっぷりの芝居を見せてくれる市村さんですが、銀行に雇ったモンティが瞬く間に風格を身に着けて行く様を温かく見守るシニア役では、品格と温かさの滲む流石の台詞術で、ほろりとさせます。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
対するウエンツさんはほぼ出ずっぱり、動きっぱなしのモンティをエネルギッシュに演じ、歌唱においては小刻みに動くメロディを端正に歌い上げ、好感を抱かせます。
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
このモンティ、実は以前からシベラ(シルビア·グラブさん、打算で生きる美女をあっけらかんと愉快に表現)という野心満々の恋人がおり、二股をかけられたあげく別の男のもとに逃げられてしまうのですが、それでも彼女が遊びに来るとメロメロ。どうやら年上らしいシビラに対して、“地獄の果てまで僕のシベラ”と歌うウエンツさんの声は少年ぽさを残したファルセットで、ピアノの伴奏に良く合い、不思議なエロティシズムを放ちます。(この直後、モンティとの結婚を決意したフィービーが部屋を訪れ、モンティは大いに慌てる羽目になるのですが……。)
『紳士のための愛と殺人の手引き』より。(C)Marino Matsushima
さらなるすったもんだの末、モンティの大願は成就。のはずが、殺人容疑で捕まってしまう。観念した彼は(冒頭の場面に戻り)回想録を書き始めますが……。最後の最後まで気が抜けない、スリリングな展開ながら、エドワード朝の時代感を反映し、ピアノや弦楽器を生かしたクラシカルな曲調とキャストの抜群の安定感によって、どこかゆったり、ラグジュリアスな空気が漂う今回の舞台。人間の内面を深く抉るシリアスな作品もいいけれど、時にはこういう、座席に安心して腰かけられる観劇もいいものだ、と思わせてくれることでしょう。例えば最近会っていないご両親など誘ってみれば、その後はきっと楽しい会食ができそうな舞台です。