『海街』の登場人物も大好きな、老舗和菓子屋のお菓子
『麻心』を出て、先ほどの信号まで戻り、今度は反対方向に歩いて行きます。この通りは「星の井通り」といい、その名前は、この先にある井戸に由来します。「星の井通り」を歩いて行きます
「星の井通り」を歩いて行くと右側に風情ある建物が見えてきます。『力餅家』という和菓子屋さんで、今からおよそ300年前の江戸時代中頃、元禄年間の創業。
"古都"鎌倉は老舗が多いと思われるかもしれませんが、実は、ほとんどの店が明治以降の創業で、江戸時代からのれんが続く店というのは、本当に数えるほどしかありません。
『力餅家』の名物は、餅にたっぷりの餡子(あんこ)をまぶした『権五郎力餅』。
餅にたっぷりの餡子をまぶした『権五郎力餅』。お餅と求肥の二種類がある
権五郎というのは、店のすぐ近くの御霊神社(別名:権五郎神社)にまつられている平安時代後期に鎌倉を領有した武士、鎌倉権五郎景政(かげまさ)のこと。
景政は、「後三年の役」(1083年~1087年)に出陣し、敵に右目を射抜かれながらも奮闘したという逸話が残るなど勇猛で知られた武将。御霊神社境内には、景政が手玉に取り、袂(たもと)に入れたと伝わる「手玉石」と「袂石」があります。
『権五郎力餅』は、このような"力持ち"の景政公にあやかりたいという気持ちから生まれたようです。
御霊神社境内の「手玉石」(左)と「袂石」(右)
『力餅家』のご主人、安齊正好さんに、お店の歴史について、もう少しうかがってみました。
「江戸時代の中頃になると、江戸庶民の生活にも余裕が出てきて、江ノ島や鎌倉辺りにも物見湯山に訪れる人が多くなってきたようです。うちの店は、最初はこうしたお客さんを相手にする茶屋からはじまったのだと思います。
『力餅』は、東北地方で見つかった江戸時代の文献(手紙)に"鎌倉のお土産"として書かれており、創業当時からあったようです。
建物に関しては、関東大震災(大正12年)で店が倒壊し、その後、頑丈な建物を再建しました。しかし、太平洋戦争末期に米軍が鎌倉に上陸するという情報があり、軍の方針で「回天」(人間魚雷)の基地をつくるため、うちも含め、ここら辺の建物は取り壊されてしまいました。現在の建物は戦後に建てたものです」
『力餅家』店内の様子。ご主人の安齊正好さん(右)と奥様
『力餅家』は『海街』の映画には登場しませんが、原作ですずちゃんの彼氏、風太の好物として『福面まんじゅう』が登場。
福面まんじゅう
『福面まんじゅう』は人形焼きのようなお菓子で、毎年、景政公の命日とされる9月18日に行われる「面掛行列」というお祭りで使われるお面をかたどったもの。『権五郎力餅』と並ぶ人気商品だそうです。
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■力餅家
鎌倉市坂の下18-18
TEL:0467-22-0513
営業時間:9:00~18:00
定休日:水曜日・第三火曜日
地図 → 食べログ
映画にも登場した"切通し"を通って極楽寺駅まで
「星の井通り」をさらに先へと歩いて行くと、右側の路傍にすぐに見えてくるのが、この道の名前の由来にもなっている井戸「星の井(星月の井)」。「星の井」には、その昔、昼でも水面に夜空のように星や月が映っていたという伝説がある
海に近い土地柄から、地下水も塩まじりの所が多い中で、この井戸はきれいな水が湧くことから、江戸時代には「鎌倉十井(じっせい)」にも選ばれ、道を行き交う旅人の喉を潤しました。
さきほどの『力餅家』のご主人、安齊さんが若い頃にはまだ使われていたそうですが、現在は蓋がされてしまい、寂しげに感じます。
井戸の先の坂道が、「極楽寺坂切通し」の上り坂。
極楽寺坂切通し
坂を登り切ると、右手に赤い欄干の橋が見えますが、この橋を渡った先に、四姉妹が住む家がある設定になっています。橋の上からは、江ノ電で唯一のトンネル「極楽洞」が見えます。
映画の中に何度も登場し、印象的だった赤い欄干の「桜橋」
橋を渡らず、真っ直ぐ行けば、間もなく極楽寺駅前に到着。
「関東の駅100選」にも選ばれている江ノ電の極楽寺駅
映画には何度も出てくるので見慣れていたはずですが、実際に見てみると、思いの外、かわいらしい駅舎に、M恵さんは思わず「小さいですね!」と感想をもらしていました。
極楽寺周辺は、鎌倉市内でもとくに雰囲気があるエリアなので、『海街』のほか、様々な映画やドラマの舞台になっています。