心の病気に対する治療法は治療薬も精神療法も随分効果的になっています。その効果を最大限に高めるためには、実は病識のレベルが重要なカギを握っています
例えば、病気になった時に病気だという自覚がなければ、いろいろな問題が生じやすくなってしまいます。そしてこのような「病識の欠如」は、心の病気の場合、程度の差はあるものの、かなり一般的に見られるのです。
今回は、心の病気の基礎知識として、病気から回復していく過程で、あるいは病気を発症した時に大きな問題になりやすい、「病識の欠如」について、詳しく解説します。
心が弱いから? 心の病気に対する間違った認識
自分自身が心の病気を発症したという事実は、なかなかすんなりと受け入れられないことも多いようです。特に、心の病気に対して、当の本人が良くないイメージを持っている場合、この傾向は現われやすくなります。例えば「うつ病は心が弱い人に起こる病気だ」と強く思い込んでいる人にとって、自分がうつ病になったことを受け入れるのは苦しいことかもしれません。その人にとっては、自分の心の弱さを認めることになってしまうからです。それまでの生活環境や価値観にもよりますが、実際に心の病気の症状が現われて、精神科を受診して病名の診断を受けた後でも、その現実をしっかり受け入れられない人は少なくありません。
そしてまた、病識が持てなくなるのは、このように病気に対する誤解があるときだけではありません。心の病気の場合は、その病気の症状そのもののせいで、当人が病識を持てなくなってしまう場合があるのです。
「自分は病気じゃない!」…病識を持てないのも症状のひとつ
一般にうつ病や統合失調症など心の病気になるということは、その症状が何であれ、発症前のような生活が難しくなったことを意味します。しかし、その症状が初めて現われてきた時に、それが心の病気のたせいだと認識することは、一般に容易ではありません。例えば、うつ病になれば、その症状のあらわれとして、自責の念が強まりやすくなります。そして死にたい気持ちも現われてくる可能性があります。実際、うつ病と自殺は密接に関連しています。自殺願望というもの自体、通常、脳内に医学的な問題が生じた結果に、脳が生み出す病的な思考です。
しかし、その思いの中で「これはうつ病の症状で、自分は治療が必要だ……」とは、本人はなかなか認識しにくいものです。また、まわりの人も当人の状態をかなり過小評価してしまう傾向があります。もしも身近な人の口から「死にたい」といった言葉が出れば、まわりの人は決して軽く受け止めず、うつ病の可能性、そして精神科的治療の必要性も充分見極めたいところです。
また、たとえば統合失調症の発症時には通常、幻覚や妄想が現われて、現実と非現実の境を見失ったような状態になります。それは当人には実にリアルな精神体験になることがあり、その非現実性に気付きにくいです。また、こうした精神症状の最中は、自分自身の状態を病気の発症前のような認知能力をもって、認識することはかなり難しくなります。統合失調症の症状自体に、治療の必要性を本人に気づきにくくさせる性質があるのです。
病識を持つことは、病気からある程度回復できたということ
病識の欠如は心の病気から回復していく上で大きな問題になりやすいです。なぜなら、治療薬を決められたスケジュール通りに飲まない、あるいは病院受診をさぼってしまうといったことが、起きやすいためです。実はうつ病や統合失調症などの心の病気が再発したり、再入院につながったりしてしまう大きなリスク要因が、この「病識がない」ことなのです。これによってうまく進んでいた治療内容を守らなくなってしまうために、改善していた症状が悪化してしたり、元に戻ってしまったりするのです。
そのため精神医療の現場では患者さんに対して、まわりのスタッフは折にふれ、病気の基本的な内容をもっと分かって頂けるよう努力しています。その原動力のひとつが、患者さんの病識が向上すれば、それだけ薬物療法も精神療法も治療効果があがっていくからです。
また、病識を持つということは、具体的には「治療薬を飲むことによって、その病気の原因を解決する必要性をはっきり理解している」ということになります。これは病気からある程度、回復したことも意味します。「自分は病気で、しっかり治療を受ける必要がある」という病識を持つことは、病気から回復し、発症前のような生活、人間関係、そして1日の楽しみ方を取り戻していくための第1歩とも言えます。
以上、今回は心の病気の病識に関して詳しく解説しました。身近に関連する病気の方がいなければ、あまりピンとこないかもしれませんが、「心の病気においては病識をしっかり持つことは簡単なことではない」ということを、どうか心の病気の基礎知識として頭のどこかに置いておいてください。