米GEが起源の「選択と集中」、国内ではキャノンが先駆者
「選択と集中」は、80年代に米ゼネラル・エレクトリックのCEOジャック・ウェルチ氏が実戦したマネジメント戦略として世に知られるようになりました。一言で言うなら、企業が自社の得意分野に特化することで経営体質を強化する戦略です。しかし、戦略の前提となる切り捨て事業における大胆な雇用カットが終身雇用を旨とする日本にはなじまないものとして、当時国内では積極的に取り入れられることはありませんでした。キャノンは日本における「選択と集中」の先駆者
その成功事例として国内で先鞭をつけたのは、キヤノンでしょう。95年バブル崩壊のあおりを受けて経営体質の大幅な改善を求められていた御手洗冨士夫社長(当時)は、液晶事業やパソコン事業などの赤字部門を切り捨て、今後の収益性、成長性が高いと見込んだデジタルカメラ部門や複写機やプリンター部門に経営資源を集中させました。
これぞ「選択と集中」といえるもので、結果、経営の安定化をはかることに成功しました。体力に余裕のあるうちにとるべき将来を見越した経営判断として、現在でもマネジメントの観点から高く評価されています。
アシックスは「選択と集中」で倒産危機から業界トップへ
同時期に武田薬品工業もまた、「選択と集中」で経営の安定化をはかりました。95年に打ち出された武田國男社長(当時)のもとスタートした中期経営計画では、「医薬特化」の方針が打ち出されます。この計画では、食品事業や農薬事業など当時の黒字部門も、思い切って他社に売却することでの本業特化をはかったのでした。来るべき規制緩和をも視野に入れた同社の「選択と集中」は、その後の経営の安定化に大きく寄与し、同社は現在国内製薬最大手としての確固たる地位を築きます。アシックスは原点回帰のシューズ特化で、V字回復を果たした
結果7期連続での赤字計上。倒産の危機すら噂され瀕死の状態にあった同社がとった起死回生の策が、そもそもの本業であり自信を持って販売できるシューズ事業への特化、経営資源の集中でした。まさに原点回帰です。シューズへの技術開発、製品開発への全社的注力は潜在的市場の堀おこしにもつながり、業績はV字回復を遂げます。そして05年には連結売上高で宿敵ミズノを抜き国内トップに。和田清美社長(当時)は、「我々が勝てる分野に経営資源を集中してきた結果」と胸を張ったのです。