夢にも思わなかった“ミュージカル”との出会い
『Golden Songs』撮影:花井智子
「文字通り、“遥か彼方まで行ける自分”でありたい、という思いです。この顔で“太郎”とか“源次郎”というのも、違うでしょ(笑)。“遥”とか“壮”みたいな、中性的な名前がいいなと思って考えていた時に、この名前を思いついて、専門家の方に画数を見ていただいたら画数もいいということだったので。もっとも、今は“遥か彼方”のずっと手前で止まってしまっていますけど(笑)。なかなか、道は遠いですね」
――お母様はチリ人とのことですが、伊礼さん自身はアルゼンチン生まれなのですね。
「母が(日本人の)父と出会ったのがアルゼンチンだったんです。住んでいたのはブエノスアイレスの隣のラプラタという町で、5歳まででしたが、記憶はありますね。素敵な町でした。遠いのでなかなか里帰りはできないけれど、スペイン語は話せます」
――南米の血を感じることはありますか?
「それはもう。特に今回のように梅芸さん(梅田芸術劇場)主催のお仕事をする時には、(関係者に)関西の方が多いのですが、ラテンのノリと関西のノリってとても近くて、フレンドリーというか、誰とでも仲良くなれるイメージ。自分の中では関西を“第二の故郷”と呼んでいるぐらいです(笑)」
――芸能界を目指されたのは、先ほどお話くださった中学生の頃の音楽との出会いがきっかけですか?
「そうです。もともと、母が洋楽好きだったので家にはいつもアバだとか、サイモン&ガーファンクルのようなメロディアスな音楽が流れていて、最初ブルーハーツの音楽は耳障りでしかなかったけれど、『青空』に出会ったことで中2でギターを始めて、月に1回はライブにも出るようになりました。音楽を通じていろいろと経験していくうち、早く社会に出てもっと様々な体験を積みたい!と思って、学生生活もあえて選びませんでした」
――ご家族から反対はされなかったのですか?
「僕が頑固な性格なのを両親も知っていたから、自由にやらせてくれたんだと思います。それからたくさんの方々と出会い、いろいろなことを教えていただくうち僕も随分柔軟になりましたが、特に猛烈な反対もなく僕の希望を受け入れてくれた両親には感謝してます」
――舞台には前から興味があったのですか?
「全く無かったです(笑)。エンタテインメントは映画と音楽とバレエと、CMで流れる劇団四季と宝塚くらいしか知らなくて、劇場という場所で芝居を見るという発想すらなかったです。それが、路上ライブをやっていたら“オーディションを受けませんか?”と声をかけられ、『ミュージカル テニスの王子様』で舞台デビューしまして、こういう世界もあるんだ、ということが衝撃でした。ライブではコール&レスポンスがあるけど、芝居ってそういうものはないんだな、と」
ミュージカルでこそ肯定された
自身の歌唱スタイル
『エリザベート』写真提供:東宝演劇部
「逆に、そこが面白かったです。それまでは音楽を通して自分を表現することが得意だし好きだと思っていたけど、実はそれがしんどかったということに、舞台と出会って気づいたんです。それまで音楽業界では“その歌い方だと聴く人に伝わらないから、もっとポップに歌いなさい”とか、自分の表現が否定されてばかりだったのが、ミュージカルの世界では、感情的に歌うことが受け入れられた。音楽をやっている時のスタイルが、こっちの世界では普通に肯定され、“こういう伝え方は、ありだったんだ”とわかり、なんて面白いんだろう、と思えました」
――逆に自由になれた、と?
「解放された感はありましたね。居場所をみつけたというか、もっともっとやってみたいと思って、ミュージカルをたくさん観に行き始めました。ミュージカル界にどういう俳優さんたちがいるのかも全く知らず、『エリザベート』では共演の(大先輩の)山口祐一郎さんにわりと最初から“やあ祐さん!”という感じで話しかけて、“ああしたいこうしたい”と意見を言ったり、質問攻めにもしていましたね。祐さんはそれに対して“いいよ、いいよ”と優しく受け入れて下さって…。とんでもない新人がきたと思われたでしょうね(汗)。とても懐の深い方でした」
*次頁ではその『エリザベート』初挑戦時の思い出、最近の出演作についてうかがいます。ルドルフ役デビューの一か月、緊張のあまり伊礼さんは…。