『グランド・ホテル』観劇レポート
二つのエピローグがグランド・スケールで象徴する
人生の光と影

*いわゆる“ネタバレ”を含みます。未見の方はご注意ください。*
『グランドホテル』撮影:GEKKO

『グランドホテル』撮影:GEKKO

舞台中央に置かれた椅子に一人の女(“死”を象徴するダンサー)が歩み寄り、足を組んで座るとおもむろに呼び鈴を鳴らす。背後に待機していた人々がその音に反応して定位置に付き、狂言回し役・医師オッテンシュラッグのリードで大曲「The Grand Parade」を歌い始める…。
『グランドホテル』撮影:GEKKO

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こうして幕を開ける今回のトム・サザーランド版『グランド・ホテル』は、「GREEN」「RED」の2組のキャストチームを有し、オリジナル版(89年ブロードウェイ初演)には無いエピローグを加えているのが最大の特色。1928年のある日、ベルリンのホテルを訪れた人々と従業員たちの物語は、「GREEN」「RED」それぞれ異なる結末に向かって展開します。そのため、主筋も楽曲も同一でありながら、例えば死期の迫る会計士オットー役は、「GREEN」チームの中川晃教さんが人生の意味探しに重きを置いて見えるのに対し、「RED」チームの成河さんは運命に対してシニカルな空気を漂わせていたりと、造形が若干異なるのも妙味。演出家のサザーランドは稽古の過程で、自身の演出意図にキャスト自身の持ち味を掛け合わせ、各人物像を作り上げていったのでしょう。何とも刺激的な稽古場であっただろうことが想像されます。
『グランドホテル』撮影:GEKKO

『グランドホテル』撮影:GEKKO

人生に絶望する者、希望に溢れる者。生きたいと願う者、生きる気力を失った者。いくつもの対照が交錯する中で、首飾りを盗もうと引退間近のバレリーナの部屋に忍び込む男爵の行動が彼女のみならず、宿泊客たちやホテル・スタッフの人生に大小の影響を与え、彼自身も享楽的な生き方から脱しようとします。しかし思いがけない出来事の連鎖によって、物語はくだんのエピローグへ。
『グランドホテル』撮影:GEKKO

『グランドホテル』撮影:GEKKO

「RED」版のそれは、悲喜こもごもの出来事のあとにキャストたちが舞台から通路へと降り、祝祭的なムードの中で去るという“人生肯定”型エンディング。いっぽう「GREEN」版では富裕層である宿泊客たちがやおら衣服や持ち物をはぎ取られ、ヒトラーの演説音声が流れてナチスの台頭が表現されます。そんな中でホテル従業員のエリックが生まれたばかりのわが子を抱え、“次世代”という一筋の光明を見せながら去ってゆく。つまり物語世界(1928年)以降のドイツの世相を凝縮した光景となっています。ミュージカル芸術の本質である“人生讃歌”と、人類最大“悪”の一つナチスに踊らされる人々、そしてかすかな希望。後者にはいささか情報が詰め込まれている感もありますが、この2つのエピローグを体験することで観客はサザーランドのミュージカル観、『グランド・ホテル』観をじっくり体感。世界でもなかなか観ることのできない、きわめて意欲的な公演であると言えるでしょう。
『グランドホテル』撮影:GEKKO

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出演者はそれぞれに持ち味を発揮していますが、とりわけ、人々とのかかわりの中で生きる力を得てゆく会計士を丁寧に演じ、幕切れ近くのフレムシェンとの会話でほろりとさせる中川晃教さん、今回が初ミュージカルながら貴族の風情と物語をリードしてゆく力強さを兼ね備えた男爵役・宮原浩暢さん、“世慣れた”感を醸し出しながらもバレリーナに出会ってからはまっすぐに愛情を注ぐ男爵役・伊礼彼方さん、全身に野心を漲らせつつ時に心が揺れ動き、弱さを覗かせるフレムシェン役・昆夏美さん、“庶民”の代表として人生の素朴な喜びを体現し、観客から最も共感されやすいであろうエリックを誠実に演じる藤岡正明さん、そして作者の視点を冷徹に体現する医師役・光枝明彦さんが印象的です。
『グランドホテル』撮影:GEKKO

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本作はもともとロバート・ライト、ジョージ・フォレストが1958年に書き、ブロードウェイでは上演されなかったミュージカル『At The Grand』を30年後に書き直し、モーリー・イェストンによる6曲の新曲を追加したもの。冒頭の大曲「The Grand Parade」はそのイェストンによる作曲で、懐古的な中に憂いの漂う旋律が魅力的です。このナンバー後半で“死”を表すスペシャル・ダンサー役・湖月わたるさんが回り舞台に乗りながら、劇中の某人物を指さす。その意味の恐ろしさとは裏腹に美しい構図もまた、忘れがたい光景です。






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