なりゆき(?)で入社した劇団四季で、脚本執筆の楽しさに開眼
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:山之上雅信
「初観劇は小学校に上がる前だったかと思います。でも小さいころから演劇の世界を志していたわけではありません。大学を出て、一般企業に就職したのですが、ダメOLで(笑)すぐ行き詰ってしまいました。一番苦手だったのがロッカールームでの人の噂話で、こういう環境にはいたくない、と思ってしまったんです。自分は社会生活に適応できない、それならば好きなことをやって生きてみようと思い、大学の教授に相談しに行ったんですね。先生には“素人がやれるような仕事は、演劇界にはないよ”と諫められたのですが、ちょうどそこに劇団四季のラ・アルプ(劇団四季会員組織「四季の会」会報誌)があって、求人情報が載っていたんです。先生が“ここに行ってみたら?”と言ってくださり、それまで何本か舞台は見ていたけど特に憧れていたわけではない劇団四季を受けてみました。
募集していたのは秘書兼演出助手。演出家の浅利慶太さんが当時、社長も兼ねていたので、浅利さんが社長をやっている時にはお茶を出して、稽古場にいるときには演出助手という名で雑用をするということでした。面接では、いろいろ質問に答えただけでしたが、生意気なので面白がられたのか、採用されました。
どういう業務をするのかも、自分が何をしたいのかもよくわからないまま飛び込んだ劇団四季でしたが、稽古場でやっていることが面白くて楽しくて、秘書だから夕方には帰っていいのですが、稽古場の隅で夜9時10時までずっと見ていました。そうしたらある日、ファミリーミュージカルの稽古で俳優がちょっと喋りにくい台詞が問題になり、浅利さんから突然“このセリフを直してみろ”と言われたんです。たった一行の台詞でしたが、一生懸命考えて書き換えましたら、目の前で俳優がその台詞を喋ってくれた。それを聞いた時に“この仕事、面白いな”と思ったんです。25歳くらいになっていたでしょうか。劇団で何をやりたいのかが見えてきた瞬間でした」
――その流れで訳詞もされるように?
「いえ、それはずっと後の話で、しばらくはずっとお茶くみをしたり、広報部で雑誌社を回ったりしていました。ただ、そういうことをやりながらも、何人か若い社員のグループがありまして、そこで月に1本、台本を書いて浅利さんに読んでいただくという勉強会をしていました。朝から晩まで本来の業務があり、それに加えて台本を書くためには徹夜するしかないのですが、若いからできたのですね。何本書いても、読んではその場でポイ、が続きまして、いったん退社し、新神戸オリエンタル劇場が立ち上がるというのでそちらの仕事に就いた時期がありました。
けれども関西の記者さんの結婚披露宴会場でばったり浅利さんに再会したのがきっかけで、1年ほどしてまた四季に戻り、国際関係の仕事をしながらオリジナル・ミュージカルの台本執筆や訳詞に携わるようになりました。クレジットは出ていないけれど、第20稿くらいまで手掛けた作品もあり、思い出深いですね」
――そんな中に訳詞を担当された『クレイジー・フォー・ユー』があったのですね。この作品に限らず、劇団四季の訳詞はいつも品のある日本語だと感じます。
「それは浅利さんの方向性ですが、『クレイジー~』の訳詞はユーモアのあるほうだと思います。あの時は(イラストレーターの)和田誠さんが訳詞のご担当で、私は(台詞の)翻訳担当でしたが、和田さんが大変お忙しかったため最終的に私が訳詞もお手伝いすることになりました。ガーシュウィンの歌詞は言葉遊びもあり、韻を踏むのがむずかしくて大変でしたが、大好きな作品ですね」
*次頁ではフリーとなってから数多く手掛けているディズニー映画の訳詞、劇団四季『アラジン』、そして今後の抱負を伺いました。