現代の建物群と一線を画す橋と架橋煉瓦建物
昌平橋同様、橋から神田川を望むと(昌平橋とは)間逆の風景がある。万世橋の歴史は古く、江戸時代、徳川将軍が上野寛永寺に詣でるために昌平橋ともに施行され、関東大震災後の1930年に今の石材とコンクリート造の橋となっている。
現代の(周囲の)建物群と一線を画す橋と架橋煉瓦建物の姿は、神々しく壮観だ。やはり、煉瓦が効いている……思うに、構築物の素材感、特に時の経過による表情は景観を創くっていくからとても重要。
この万世橋と昌平橋に挟まれたJR中央線架橋煉瓦建物に旧万世橋駅、駅舎がある。
2006年に限定公開されて以来の一般公開の「1935階段」
橋から先ほどの煉瓦壁・「駅舎界隈」に戻る。煉瓦建物・旧万世橋駅舎の最初の入り口は、「階段」。この階段は「1935階段」と名がある。
駅の歴史は後ほどご紹介するが、「1935(昭和10)年に駅舎と併設された鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が建設されることとなり、新たに設置された階段。駅休止まで使用され、2006(平成18)年に限定公開されて以来の一般公開である。」と、入り口付近にある説明書きがある。
へ~!と、感心しながら階段を一歩一歩、ゆっくり上がる。
階段の踏面はコンクリート、壁面はタイル(タイル目地は平目地)。駅開業当時とは異なる仕上げと記しているが、時を刻んだこのしっとりとした空気感は、どうして、どうして、かなりの重みがある。
踊り場から次の階段につなぐ坑道(あえて、そう呼んだ)から駅舎内の今が望める。
あったかそうな椅子やソファなど家具が見える・・インテリアショップかな、すぐ椅子に目がいくのはファニチャーイストの癖・・旧駅舎再開発で開設されたショップ街だろう。
出口らしき明るい光に向かって階段を進む。
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