一つ例を挙げよう。思い起こせば、2年前(2013年)、この私、家族に主張してみたことがある。その内容に触れる前に、知っておいていただきたい。私は家庭内で非常に弱い立場にある。駒で言えば「歩」だ。しかし、時々、起死回生の「と金」となるべく、おそるおそる主張なるものを試してみることがある。失地回復、家庭内レコンキスタである。もちろん、当たり障りのない主張だ。言わば、中央突破の「成り」ではなく、敵陣の「王将」から、はるか遠い「と金」作りである。
「あのさあ、紅白歌合戦なんだけどね。出場何回までとか決めて、卒業制にしたらいいのにねえ。そしたら、世代交代も進みやすいし、ベテランにもいいんじゃないかなあ」 / ガイド
我が意を得たりのプロローグ
……無言。いつものように鼻白んだ家族の顔がそこにあった。しかしである。しかし、あの男が、あの大御所がやってくれたのである。そう、昨年(2014年)の北島三郎、紅白卒業の感動シーンである。やってくれたぞ、サブちゃん。天下のサブちゃんが自分と同じ考えだった……。私の主張は誤りではなかった。ああ、我が意を得たり。余談になるがサブちゃんの『歩』は素晴らしい曲である。「歩のない将棋は負け将棋」のフレーズから、私への応援歌とさせていただいている。「サブちゃんの卒業は感動的だったわ。でも、あなたが意を得たからって、何の意味があるの?」 / かみさんこれは、かみさんだけでなく、今、まさに、この記事をお読みいただいている多くの方の声だろう。トランキーロ(プロレスラー内藤哲也が頻繁に使うスペイン語「焦らないでください」の意。ぜひ愛用願いたい言葉の一つだ)。
実は、出現したのである。サブちゃんではない「我が意を得たり」が心のファンファーレと共に現れたのだ。断っておくが、大島優子のAKB48卒業ではない。将棋ガイドである私にとって、中央突破の「と金」がドカンと出現したのだ。その意味で言えば、サブちゃんもプロローグに過ぎなかった。超弩級のそれは1冊の本であった。その名は……。
『外田警部、カシオペアに乗る』
『外田警部、カシオペアに乗る』、著者は古野まほろ。ミステリー短編集だ。まず、お断りしておきたい。タイトルには「時刻表トリック専門もの」っぽさが漂うが、そうではない。一応、列車が舞台だが、密室、アリバイ、陰謀など多様なミステリー集である。主人公・外田 保丞(そとだ やすすけ)は、よれよれのコートに身を包む、しょぼくれ中年警部。刑事コロンボを彷彿させる風貌だ。外田はロス市警に留学したことがあり、コロンボの弟子だと示唆する。おまけに、あのコロンボのテーマ曲を口笛る。そう、もろに影響を受けているのだ。物語の展開も、コロンボ流である。まず、読者が犯行現場を目撃する。そして、巧妙に仕組まれたトリックを、見かけによらぬ切れ者の外田警部が解明していくプロセスを楽しむ。
ちょっと待って。私、コロンボ好きだし、外田警部は面白いのかもしれないけど、それと「我が意を得たり」が、どうつながってるの? / かみさん & たぶん皆さん歩・歩・歩(ふふふ)。お答えしよう。これまで私は将棋ガイドとして、こう主張してきた。
>>将棋と推理は似ている