埼玉県名発祥の地、行田市埼玉
埼玉県の北東部には住所表記の中に県名の「埼玉」が2回登場する地域があります。埼玉県行田市埼玉です。2つの「埼玉」は順に「さいたま」、「さきたま」と読みます。この地区に古墳時代に創建されたと伝わる前玉(さきたま)神社が社殿を構えており、埼玉の県名の発祥の地とされています。神社に隣接する広大な敷地には、5世紀末から7世紀にかけて造営された巨大な古墳が、平らな土地に盛り上がりを見せています。総面積約27ヘクタールの緑地は東日本最大の規模を誇る「さきたま古墳公園」として整備され、歴女をはじめとする歴史ファンの注目を集めています。戦国時代の忍城水攻めの本陣となった丸墓山古墳
航空写真の右上、つまり公園南西に位置する駐車場から左にハス池を眺めながら公園内に入ると、北の方角に小高い丘のような古墳が見えてきます。6世紀前半に作られたと推定される直径約105メートル、高さが約19メートルの丸墓山古墳は、日本で最も大きな円墳だといわれています。緑に囲まれる階段を登りつめれば、古墳群の全景から2012年に映画化された『のぼうの城』で広く知られるようになった忍城の姿が見えます。戦国時代には小田原北条氏が領有していた忍城は、1590年に豊臣秀吉軍の水攻めに晒されました。そのとき石田三成が本陣を構えたのは丸墓山古墳だったのです。
駐車場から古墳に続く道は、水攻めの際の堤防の跡で石田堤と呼ばれています。今では堤防跡にソメイヨシノが植樹され、桜のお花見スポットともなっています。
埋葬施設が2基残る稲荷山古墳
丸墓山古墳から東には全長約120メートル、高さ約12メートルの前方後円墳が見えます。稲荷山古墳は古墳公園内で最も早い5世紀後半に作られたと考えられています。頂上には人を埋葬した施設が2基残されています。発掘調査も盛んに行われ、表面に57、裏面に58の文字が刻まれた金錯銘鉄剣や、甲冑、馬具などの副葬品が、数多く出土しています。次のページでは公園をさらに南東に向かって歩きます。