村俊英 福岡県出身。国立音楽大学声楽科を経て、二期会研究所卒業。90年オーディション合格、『オペラ座の怪人』で四季での初舞台を踏む。『オペラ座の怪人』タイトルロールは95年から演じ、『アスペクツ・オブ・ラブ』『キャッツ』『ジーザス・クライスト=スーパースター』などでも活躍している。(C)Marino Matsushima
1965年に公開され、世界的な大ヒットとなった映画版では、ジュリー・アンドリュース演じるマリアの愛の軌跡が、アルプスの美しい大自然をふんだんに取り入れた映像で印象付けられましたが、もともとの舞台版ではもう一つ、トラップ大佐のナチスへの抵抗というヒューマニズム的テーマも、大きな要素となっています。
『サウンド・オブ・ミュージック』撮影:下坂敦俊
「歌」や「英語」に目覚めるきっかけになった『サウンド・オブ・ミュージック』
――村さんにとって、『サウンド・オブ・ミュージック』はどんな作品でしょうか?「出会いは小学5年生の時、日本で映画版が上演された時でした。当時、我が家から歩いて5分くらいのところには、4軒も映画館があったんです。テレビは普及していても、それほど番組があるわけではなくて、娯楽といえばまだ映画という時代だったんですね。そのなかの1軒で『サウンド・オブ・ミュージック』という映画が上映され始めて、中学生の姉が“英語の勉強に役立つんじゃないか”ということで観に行くことになり、僕を(ついでに)連れていってくれたんです。
『サウンド・オブ・ミュージック』撮影:下坂敦俊
――ナンバーを歌いたい一心で英語教室に通い始めるほど、魅了されてしまったのですね。
「ロジャース&ハマースタインの音楽の力ですよね。歌ってみたい!と無条件に思い、しばらくずっと歌っていました。“一人『サウンド・オブ・ミュージック』”状態? まさにそうです」
舞台版に携わってみての発見
――その思い出深い作品の舞台版に、時を経て2010年、初出演。台本や資料などにあたる過程で、新たな発見などはありましたでしょうか?「大佐が子供たちと接するシーンの演出に感動しましたね。外国のお話であっても普遍的な父と子の愛情物語として感じ入ります」
『サウンド・オブ・ミュージック』撮影:上原タカシ
「このプロダクションのオリジナル演出は英国のジェレミー・サムズ(注・『パッション』『ウインド・イン・ザ・ウィローズ』等を演出)という方なのですが、英米では演出をつけるなかで、父親役に大泣きさせることがあるんです。『リトルマーメイド』でもそうです。父親に感情を一度溢れださせて、そこからまた始めるんですね」
――大佐が感極まり、子供たちを抱き寄せるしぐさも、全員を一度に抱くのではなく、一人ひとりに“おいで”と合図をして、家族の絆がしっかりあらわれてくる。とてもいい光景ですね。
「“なつかしきあのサウンド・オブ・ミュージック”という歌詞まで、台詞と子供たちとのやりとりがずっと繋がっているんですね。あそこはじっくりご覧いただけるよう、たっぷり演じています」
――登場する前の大佐は、もともとどういう人だったのでしょう?
「妻がいた時には、いいお父さんだったと思うんです。家族を愛し、ギターやバイオリンを弾いて家族で音楽を楽しんでというお父さんだったのが、妻が5年前に亡くなり、その悲しみの強さからすっかり変わってしまう。一人の人間の死がいかに大きいものかと思います。思い出のあるザルツブルクには帰れなくなり、子供たちの顔を見ると妻を思い出してしまうので、そのつらさから教育は人に任せ、音楽も禁じている。そこにマリアが現れて、子供たちに音楽の喜びを教えたことで、さきほどの「サウンド・オブ・ミュージック」のシーンに繋がっていくわけです」
――大佐はマリアの中に前の奥さんを見たのでしょうか?
「マリアと前の妻は全く違う性格だったのではないでしょうか。大佐もマリアに、同じものは求めてなかったと思います。はじめはマリアとは反発し合ってたわけですし。それが、子供たちの気持ちがマリア先生に対して移っていく様子を見ているうちに、自分もこうでなければいけないと思い始めたのでしょう。マリアは神を信仰する人ですから、すべての人に愛をという生き方をしていました。大佐はそこに何かを感じたのでしょうね」
*『サウンド・オブ・ミュージック』トーク、次頁にまだまだ続きます!