生まれて初めて「芸術が感動を与えうる」ことを
教えてくれたミュージカル
『三銃士』写真提供:東宝演劇部
「生まれた時はもっと高かったと思います(笑)。そうですね、声はほぼ声帯で決まると言われていますが、両親からもらったものなので、親がいい声帯をくれたということですよね」
――ということは、小学校の時も音楽の授業で「上手だね」と褒められたり…?
「そうですね」
――歌を仕事にすることは運命だったのですね。
「でも小さいころから聖歌隊に入って讃美歌を歌ったり、訓練というほどではないにしても、歌は歌っていました。(褒められたのは)そのせいもあったと思います」
――ミュージカルとの出会いは?
「小学4年生の時に、『キャッツ』を福岡で観たんです。百道浜というところでの、仮設テント公演でした。『キャッツ』が初めて福岡に来た時じゃないかな。両親が大のミュージカル・ファンだったということでもなくて、たまたま行く機会があったんですが、これが僕にとっては大きな驚きでした。
作品のコンセプトにもテーマパーク的なものがあって惹かれたし、最終的には音楽ですよね。小学4年生の僕にとって、それまで感動という感情は経験したことがなかったと思うんだけど、『メモリー』を聴いた時に、初めて“芸術”に触れて涙が出そうになったんです。びっくりして、これは何なんだろう、舞台を観てるだけなのに人をそうさせるなんてすごいな、自分もそういうことができる人になりたいなと思ったんですね」
――歌が歌えたことで、ミュージカルという世界を身近に感じたのでしょうね。
「それまで歌を仕事にしようなんて思ったことはなかったけど、“できるかもしれない”と思ったんです。それからは、ミュージカルに夢中になりましたね。小学生だったからしょっちゅう観劇するわけにはいかなかったけれど、その分、ミュージカルについて調べたりとか、ミュージカル映画のLDを親に買ってきてもらったり、できる限りのことをして、ミュージカル・オタクみたいになっていました。周りにはそういう子供は一人もいなくて、当時九州で僕一人だったんじゃないかな(笑)。でも後で芸大で同級生になった人で“『オペラ座の怪人』を観てミュージカルを志した”という人がいたから、僕の近くにはいなかっただけかもしれません」
「ミュージカル俳優になる」ために音楽大学へ
『ダディ・ロング・レッグス』写真提供:東宝演劇部
「そうですね。芸大卒でミュージカルで活躍されている方が(当時すでに)多かったので、芸大を卒業すれば何とかなるんじゃないかと思ったんです。家族に私立には行かせられないと言われていたし、浪人するわけにもいかないと思っていたので、高3の時には集中して勉強しました。月に一度、東京の先生のところに通って、ソルフェージュとか聴音とか、専門的な部分を覚悟してやっていましたね。頑張ったと思うし、(入りたいという)気持ちも強かったとは思うけれど、合格して大学に入ってみると、世の中には自分より巧かったり、音楽の才能がある人がいくらでもいるんだなとわかって、よく入れたなと思いました。男子は女子に比べると競争倍率が低いこともあるし、まあ運が良かったんだと思いますね(笑)」
――そして芸大の授業で小池修一郎さんと出会ったのですね。小池さんが教えに来ていたということは、当時芸大の中でミュージカルに対して積極的な姿勢があったのでしょうか?
「特にミュージカルをということではなかったと思います。吉井澄夫さんという照明家の方が舞台芸術の担当をされていたのですが、(吉井先生の監修で)一般教養的に、芸術の様々な分野の方がいらっしゃる講義でした。オペラや邦楽、バレエなど、その中の一つとしてミュージカルの講義があり、小池先生がいらっしゃったんです。僕としては、芸大に入ってもミュージカルとの接点はほとんどないなかで、初めてミュージカルの人がいらっしゃるということで、喜び勇んで行ったという感じでした」
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
「講義の中で先生に聞かれて“ミュージカルをやりたい”という話をしていたんです。ちょうど先生は当時『エリザベート』のルドルフ役のオーディションを受けてくれる人を探していらして、“受けてみますか?”と誘ってくださった。僕は“受けられるのだったら、ぜひ”と即答でした」
――大学2年でオーディションを受けたのですね。大学に入って比較的間もないですね。
「でも1年目から、大学生活は濃かったですね。東京での一人暮らしを謳歌しまして、みんなで集まって遊んだり。歌のほうはというと、先生が現役のオペラ歌手でもいらっしゃるから、公演時期と重なると休講になることも多くて、自分も望めばオペラ出演の機会もあったかもしれないけれど、僕はオペラは全然知らなかったしミュージカルにしか興味がなかったから、積極的ではなかったんです。それで余計に遊んでしまって(笑)、このまま4年間いても歌はうまくならないかな、みたいなのはありましたね。実は当時、新国立劇場で多い時で週5日、チケットのモギリのアルバイトもやっていたんですよ。どんどんバイトの人と仲良くなっていって、(ミュージカルの道に進めなければ)プロのモギリとして、ここに就職してもいいかなと思っていました」
*次頁ではいよいよ『エリザベート』でのデビュー当時、そして年月を経て今年、トート役を演じての感慨をうかがいました!