東京・日本橋に設置された日本初の赤い郵便ポスト
初めて赤い鉄製のポストが登場したのは、20世紀の初年に当たる明治34(1901)年10月21日のこと。俵谷高七が製作した試作の赤い丸ポストが日本橋北詰に設置されました。さらに同年11月7日には日本橋南詰にも中村幸治が製作した試作品が設置されています。2本の赤いポストは、黒くて木製というポストの既成概念を打ち破るもので、斬新な印象を与えたようです。赤いポストになったきっかけとして、郵政史研究者の小林正義氏は著書の中で、俵谷高七が雑誌『交通』の中で「逓信省のさる方」から「今後はポストが赤くなる」と聞いてポストを赤く塗って納めたと語ったことに着目しています。そして、その「さる方」とは郵便用品開発の責任者だった樋畑雪湖ではないかと推察しています。
なぜ日本の郵便ポストは赤いのか?
それでは、なぜ日本のポストは赤くなったのでしょうか?「イギリスに郵便制度を学んだから、イギリスを真似て赤いポストにした」などと説明されることもあり、諸説ありますが、公式には目に付きやすい色だからということになっています。赤いポストが正式に採用されたのは、明治41年10月のことですが、この年の『逓信省年報』においてポストの色は誰でもすぐに認識できるように朱塗りにしたとのみ説明されていて、郵便局(当時の逓信省)が初めて公に示した見解となっています。ただ1ついえるとすれば、郵便馬車の色には早い段階から赤が採用されていたほか、局員の制服にも赤が差し色として使われていたので、少なくとも日本の郵便局にとって縁の深い色だったことは間違いありません。
現役の丸型郵便ポストについて
現在も使われている丸型ポストの中には戦前からのものも存在しますが、大多数は戦後復興期の昭和24(1949)年から昭和45(1970)年にかけて製造されたものです。高さ135センチ・直径40センチの大きさがあり、下の根石と呼ばれる部分は高さ20センチ・直径60センチです。郵便ポストは正式名称を「郵便差出箱」と言い、いわゆる丸型ポストには「郵便差出箱1号(丸型)」という名称があります。しかし収容力が少ないことから、次第に角型のポストに切り替えられていき、現在では全国に約5,600本(2013年3月時点・全ポストの約3%)を残すのみとなっています。なお、郵便ポストの詳しい変遷については、郵政博物館に詳しいコンテンツがありますので、そちらをご覧ください。
次のページでは、いよいよ丸型の郵便ポストを使ったユニークな町おこしについて見ていきたいと思います。