プログラマーが社長に就任し、ハル研究所を再建
今では任天堂の大看板となった大乱闘スマッシュブラザーズ。そのプロトタイプのプログラムを作ったのも、岩田氏だと言われています
またその間、スーパーファミコン用ソフトとして任天堂からの発売を予定し、糸井重里氏が手掛けていた「MOTHER2 ギーグの逆襲」というRPGの開発でも、岩田氏の逸話が残っています。
開発が難航する現場に岩田氏が助っ人として投入。そこで岩田氏は、今まで作ったものを使って開発を進めれば、2年はかかるけれど、最初から作りなおさせてくれたら1年以内に完成させる、ということを言ったそうです。そして驚くべきことに、本当に1年でMOTHER2 ギーグの逆襲は完成したのです。
DS、Wiiで任天堂を躍進
WiiやDSはそれまでゲームをあまり遊ばなかった人でも、遊んでみたくなるようなハードでした
任天堂の社長に就任した岩田氏は「ゲーム人口の拡大」というスローガンを掲げ、2004年にタッチペンで遊ぶことのできる2画面の携帯ゲームハード「ニンテンドーDS」を発売、2006年には「Wiiリモコン」という棒状のコントローラーをテニスのラケットやゴルフのクラブに見立てて振って遊べる「Wii」を発売。
多くの人が覚えていることでしょう、この2つは世界中で大ヒットとなり、任天堂を大きく躍進させました。岩田氏は、天才プログラマーであり、また、あらゆることを分かりやすく説明する達人でもありました。