二人のメンバーの脱退
ガイド:福間創さんと三浦俊一さんの脱退はほぼ同時に?
KERA:
福間君はね、2013年の暮れに新宿ロフトで4日間開催された「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー」が終わった時には脱退が決まってました。それで三浦の提案で、レコーディングに入る時には杉山(圭一)でいこうと。そうしたら、レコーディング真っ最中の深夜に三浦から突然「シンセサイザーズを脱退しました」というメールが来たんですよ。すぐに杉山から「今なんか変なメールが来ませんでしたか!?」って電話がかかってきた。
ガイド:
レコーディング開始早々に意見が対立して、脱退するような雰囲気になっていたのでしょうか?
KERA:
全然。こっちはその日の夜、つまり数時間前まで、「この曲はこうしようよ」とか、レコーディング作業について具体的な話を三浦としてるんですよね。「一体どうしたんだろう?」っていう。わけがわからなくてメンバー全員困惑するばかりでした。これは想像でしかないんですけど、三浦は三浦で何かを遠慮していて言えなかったことがあったんじゃないかと思うんですよね。それが弾けた。三浦をフォローするつもりはまったくないし、彼は人として絶対にやってはいけないことをやってしまったと思ってるけど、反面、物を作ってる人ってどっかそういうとこもあるんじゃないかなっていう風にも思うんですよね。
ガイド:
三浦さんからのメールは他にどんなことが書かれていたんですか?
KERA:
「心が揺れるので、メールとか電話とかしてこないでくれ」という内容でした。それで姿をくらましちゃったりしたらみんな心配するんだけど、あいつ普通に音楽活動やらツイッターやら続けているから(笑)。これが20代だったら「ふざけるな!」って話になるでしょうし、向こうは向こうでなんらかの具体的な言葉を返してきたりもするんでしょうけど。一応本人が脱退って言ってるから脱退なのかなとは思うんですけど、ただ僕の中ではね、劇団なんかもそうなんですけど、なるようになるさって感じなんですよ。辞めるって言い出さないような状況ができた時に、戻ってくればいいんじゃないかっていうような気持ち。
脱退後…
ガイド:制作当初にやっていたことは、三浦さんの脱退によってどうなったんですか?
KERA:
すごく乱暴に言うと、最初の2週間か3週間の作業の多くは無駄になってしまった。青天の霹靂だったので、周囲にも大変な迷惑をかけた。だから制作開始当初の予想とはかなり違うものができあがりました。
ガイド:
バンマスの脱退で、当然バンド内部の制作体制にも変化が生じたわけですよね?
KERA:
それまで最終ジャッジは基本、三浦がしていて、それに異を唱えることがあるのは僕だけ、というのがバンド内の暗黙のルールだったので、突然逃げるようにして舵取りがいなくなった時にみんながモチベーションを失ってしまうんではないかという危惧はありました。でもフタをあけてみたらまったくそういうことはなかったし、むしろ「今まで遠慮していたのか、こいつらは!」っていうぐらい頼もしかった。たとえばReikoだったらコーラス班のチーフで、コーラスのラインを次々と提案してくれた。杉山からも、三浦がいたら絶対自分からは提出しないだろうアイデアが続々出てくる。
何が起こっても、どうにかなるんですよね、バンドって。でももし僕一人だったら、どうにもならなかった。だから3人のメンバーには感謝しているし、あらためてこういう風に作ってみると、今まで本当の意味では全員一緒には作ってなかったんだなって思うんですよね。その時はできる範囲で精一杯やったつもりだったけど、今回はその4倍も5倍も時間を使ってるし、思考してるし、何度も何度も組み立てなおしている。「もう期限だから、これでGOしちゃおう」ってことが皆無でした。「ここまでやったんだから、気になるところがあったら納得いくまでやろう」っていう。
そういう作り方ができたのって、LONG VACATIONのある時期――ハワイ盤『SUMMER LOVERS』以来かなと思うんですね。あの時、三浦が辞めずに作り続けていたら、また別の意味でいいものができたとは思うんですけど、これまでのシンセサイザーズとさほど変化のない作品になったでしょうね。ここまで革新的なアルバムはできなかったと思う。