トート→エリザベート→トートを演じる中で
見えてきたもの
『エリザベート』写真提供:東宝演劇部
「身につけるのに苦労した男役でしたが、脱ぎ捨てるのも苦労しました。スカートを身に着け、ヒールを履いているのになぜか違和感を抱きましたし、しぐさや心構えが男役になってしまったりということもありました。マルグリットは若い男性と恋に落ちる、色気のある女性ですが、本質的にはとてもピュアな女性の役。私も宝塚を卒業したてで、まっすぐな気持ちで挑んでいたことが思い出されます」
――11年の『ア・ソング・フォー・ユー』は一転、70年代の東京都福生市が舞台。カーペンターズのメロディに乗せて描かれた群像劇でフィール・グッドというか、心地よく拝見できる作品でしたが、既成のポップス曲を歌うというのはいかがでしたか?
「カーペンターズは大好きなアーティストで、以前から好きでよく聴いていました。歌えることはとても嬉しかったです。けれど音楽劇に近いスタイルの作品は初めてでしたので、そのリアルさに、素顔の自分が出てしまうとまどいがありました。でも、新たな経験がたくさんできました。素敵な俳優さんともたくさん出会えましたし、ミュージカルにもいろんなタイプがあることが学べた作品でした」
――そして12年には、宝塚時代にトートを演じた『エリザベート』のタイトルロールを演じました。春野さんのエリザベートはとりわけ幕切れの爽やかさが印象的で、「生き切った」「さあ、次の世界に行くのだ」という晴れやかさが感じられましたが、ご自身的にはどんな感覚でいらっしゃったのでしょうか?
「トートに身をゆだねる時には、“自分が目指していた場所にたどりついた”という意志を表しています。しかしそれで終わりではなく、“これからも自由な魂で生き続けていく”という感覚がありました」
――終始理性的で感情移入しやすいエリザベートに見えたのは、トートの経験がおありだったということもあるのでしょうか。
「エリザベートはこれまで多くの方が演じてこられた役で、何通りものエリザベートがあると思います。その中で私は、一人の人間として、こういう運命のもとで生きるならどんな意志を持って生きるか、ということを考えて演じていましたね。例えば“皇后”であることを大切にされる方もいらっしゃるでしょうし、あるいは“自由で溌剌と”と意識される方もいらっしゃると思います。私の場合、そういった部分は後からついてきたもので、まずは子供時代のエリザベートが育った環境を大切に考えました。その上で、演出家から“そこはもっと自由に元気よく”と注文をいただけば付け足してゆくという感じでした。
エリザベートを演じた後にガラコンサートで再びトートを歌う機会があったのですが、そこでは、宝塚の時には出せなかったものを表現できたのではないかと思います。少なくとも理解することはできました。宝塚の時にはトート目線でしかエリザベートを観ていませんでしたが、エリザベートを演じるにあたり、彼女自身にどういう欲望があって、死というものに対してどう向き合ったのか、自分の中で作っていく作業をしました。エリザベート目線で見たトート、という理想像を描きながらトートを演じることができたのだと思います」
――今後も様々な女性を演じてゆかれることと思いますが、常に大事にしてゆきたいものは?
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
――表現者として今後、やってみたいことはありますか?
「女優になってからそれほどたくさんの役を演じたわけではないのですが……、クレアのような女性、演じてみたいですね。(クレアのような負のエネルギーは)私のイメージにはないですよね。だからこそ、幅を広げて、そういう役も演じられる女性になりたいです。未知の、まだ出会ったことのないような役も演じて行きたいです!」
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それが激烈な役であれ癒し系であれ、常に春の日の木漏れ日のようなやわらかさ、大人のゆとりを漂わせてきた春野さん。復讐に燃えるクレアのような女を演じてみたい、というのは意外にも聞こえますが、今後はさらに持ち役の幅を広げ、春の日の木漏れ日から冬の日の凍える心まで、自在に魅せる女優になってゆかれるのでしょう。そんな彼女が今回の『貴婦人の訪問』で演じる、ひたすらけなげな「良妻賢母」。クライマックスの彼女の行動は、実は本作で一番「怖~い」ポイントかもしれませんので、ぜひお見逃しなく!
*公演情報*『貴婦人の訪問』7月27~29日=シアター1010(プレビュー公演)、8月13~31日=シアタークリエ
*次ページで観劇レポートを掲載しています!*