共産テクノにも影響を与える
テクノポップやディスコの文脈でそれほど注目を浴びていなかったスペースですが、彼らはソ連でも人気を誇りました。ソ連では1983年に『Волшебный полёт(英語で「Magic Fly」)』をリリースしています。ソ連版のジャケに写っているのは、中心メンバーのディディエ・マルアニ(Didier Marouani)。まったくバンドの世界観が反映されていないジャケは残念です。Волшебный полёт (Discogs)
彼は、フレンチポップのプリンスとして、1973年にソロ・シンガーとしてデビューしており、日本盤『ディディエ』もリリースされています。
ディディエ (Discogs)
1981年にスペースはソ連のテレビ番組でも放映されましたが、同年にバンドは解散。しかしマルアニは、1983年にDidier Marouani & Spaceという名義で、ソ連で合計21に渡るコンサートを行い、60万人以上の観客を動員する大成功を収めました。そのあたりは、ソ連の共産テクノにインスト中心のスペースディスコ的バンドが多いことにも影響したと思われます。
このツアーからの音源は、『Concert En URSS(ソ連でのコンサート)』としてリリースされました。ソ連崩壊後もロシア、ウクライナなどの旧ソ連諸国は、マルアニにとっての活躍の場となり、モスクワ市長の許可を受けて、モスクワの赤の広場でもコンサートをしています。
Concert En URSS (amazon.co.jp)
スペースのカヴァー
なお、スペースをリスペクトするミュージシャンとして、エレクトロクラッシュの時期に登場したFelix Da Housecatが「Magic Fly」のカヴァーをしています。Magic Fly (SoundCloud)
スペースディスコ……あまり語られることがないジャンルですが、さらに調査を続行します。