パレルモ旧市街のもうひとつの楽しみ方
ヤシの木が潮風にそよぐエキゾチックな港街パレルモ。この街の見どころと言えば、12世紀の黄金のモザイク、バロック様式のクアトロ・カンティやジェズ教会などなど、古代より地中海の重要な都市として栄えた記憶を留める歴史遺産。しかし、そんな観光スポットをめぐりながら、ふと気づく。旧市街に建ち並ぶ、(よく見ると)立派な建物たちは、なあに?
半壊していたり、黒ずんでいたり、ついでに路上にゴミも多いので…パッと見ただけだと、「やだ、恐い…」「ただの廃墟?」なんて具合に見過しがちになりますが、素通りしてしまってはもったいない!
これらは主に16~18世紀に「貴族の館」として建てられたもの。シチリアの政治的な問題やら何やらで、修復が進まず当時の威光を放つ建物は残念ながら数少ないですが、ファザードにバロックの装飾を見つけることもできます。
想像力をマックスにして眺めて見てみれば、どうでしょう?パレルモの旧市街には、ずいぶんと豪壮な街風景が広がっていることに気づかされます。
拡大され続けたパレルモの旧市街
パレルモの起源は、紀元前8世紀頃。古代フェニキア人によって築かれた街は、イスラム帝国がパレルモに都を置いた10世紀から、ノルマン王国によってシチリア王国が設立された13世紀頃に拡大しました。>>>3千年の歴史を3時間で体感する!パレルモ街歩きルート
そして、フランスのアンジュー家が支配する乱世の時代を経て、スペインのアラゴン家に支配が移った16世紀。スペイン王国の対オスマン・トルコ戦の前哨地としてシチリアの各都市が要塞化しますが、王宮のあるパレルモもより大きく頑丈にと、拡大・都市整備が行われます。
旧市街に貴族の館が並んでいる、その理由
当時のシチリアは領地化され、広大な土地を所有する領主(貴族)と土地を奪われた農民がいる封建的な社会。領主たちは、領地に支えられた財力で、開発の進むパレルモに、続々と貴族の館を建てていったのです。いわば江戸屋敷のようなものでしょうか。しかし、参勤交代もなく、都会暮らしにうつつを抜かすその間、領地は管理人におまかせ。小作人と管理人だけでは土地のメンテナンスも行き届かず、シチリア農村部の貧困とマフィアを生む要因にもなったわけですが、話がそれるのでこれはまた別途…。
現在のメインストリート、コルソ・ヴィットリオ・エマヌエレ通り(当時はアル・カッサロー通り)とマクエダ通りも整備され、交差点にはバロック様式の美しい彫像が飾りました。「アル・カッサロー」は王宮への道という意味。
一等地であったこの通り、またアラブ支配時代から高級住宅街であったカルサ地区、アッローロ通り界隈には、特に有力な貴族たちが遺した館が数多く並んでいます。
その多くは、内部をアパルタメントや商店、ホテルやB&Bなどに改装されて現在も現役。石造りは丈夫ですね!また、中には当時の豪華な内装をそのまま保存している館もあり、見学が可能なケースも!
>>>次ページで、「パレルモの栄光と衰退の物語」「今に遺された貴族文化を感じたい」をご紹介します。