2000年代のヒップホップ
2000年代のヒップホップ
<目次>
最も有名なラッパー、エミネム
まずは世界中でラッパーとして最も知名度が高いであろう、エミネム。大御所プロデューサー、ドクター・ドレーのプロデュースによって、99年にメジャーデビューし、一気にスーパースターへの階段を駆け上がりました。アルバム、シングルのセールスが計1億5500万枚を超え、世界で最も成功したミュージシャンのうちの1人でもあるという脅威の存在。大きな変革をもたらした女性ラッパー、ミッシー
ヒップホップ界で女性が活躍するのは難しいとされている中、ミッシー・エリオットはラッパー/シンガーソングライター/プロデューサーとして、大きな功績を残します。90年代半ば頃から多くのヒップホップMV監督を努める奇才、ハイプ・ウィリアムスとタッグを組んで、毎回クリエイティブなことに挑戦したミッシーのMVはいつも注目を集めていました。バンドエイドがトレードマークだったネリー
ミズーリ州、セントルイスで育ち、主に中西部の人々からのアツい支持を受けて、スターの座を獲得したネリー。当時の彼のトレードマークと言えば、左の頬のバンドエイドでしたが、その意味は当時獄中にいた親友への友情と敬意の証として貼っていたそうです。タトゥーの数は100個以上、リル・ウェイン
9歳の時からラッパーとして活動を始め、現在32歳にして既に芸歴が23年にもなるリル・ウェイン。最初はホット・ボーイズというグループで活躍していましたが、99年にソロデビューを果たします。フィーチャリングアーティストとしても未だに不動の人気をキープ。全身と顔に入っている100個以上のタトゥーとドレッドが彼の特徴です。不死身の男、50セント
12歳の頃からドラッグディラーとしてお金を稼ぎ、自分の身は自分で守ってきたというフィフティー・セント。Run DMCのDJに可愛がられ、ラッパーとしての名を上げ始めた2000年に何と9発もの銃弾を受けてしまいます。危うく命を落とすところでしたが、5ヶ月後には見事に復帰。その2年後にエミネムとドクター・ドレーのプロデュースにより、メジャーデビューして一躍ヒップホップのスターに登りつめた、まさに強運の持ち主です。サウスのキング、T.I.
ヒップホップはごついイメージのアーティストが多い中、アメリカ南部、アトランタ出身のティー・アイはスリムでイケメンのラッパー。彼は自身のことを「サウス・オブ・キング」と呼んでいますが、その名に等しく、10代の頃からドラッグディーラーとしてハッスル(ストリートでドラッグなどを売ったりしてお金を稼ぐという意味)し、その他にも拳銃保持などで何度もの逮捕歴を持つ、正真正銘のハスラーです。クリエイティブな新風を起こしたカニエ
小さい頃からアートが好きで、8歳でヒップホップにはまり、曲を作っていたカニエ・ウエスト。20代前半からジェイ・Zのレコードレーベル、ロッカフェラ・レコードのアーティスト達をプロデュースするようになり、多くのヒット曲を生み出します。念願であったラッパーとしての活動も希望が見え始めた頃、車の大事故に合い大怪我を負いますが、無事に生還。クリエイティブなセンスでヒップホップ界に新たな風を吹き込みました。未来のヒップホップ
ここに挙げた以外にも本当に数多くのアーティスト達がメジャーで活躍した2000年代。消えていったアーティストも多かった一方で、音楽だけにとどまらず、ファッションやお酒、スポーツや不動産業界など幅広い分野で新たな才能を発揮するアーティスト達もいました。【関連記事】