ミュージカル/ミュージカル・スペシャルインタビュー

Creators Vol.6『GARANTIDO』演出、謝珠栄(2ページ目)

現在のミュージカル・スターの中で、謝珠栄さんの振付を受けたことのない方はいないかもしれません。それほど振付家として数多くの舞台を手掛け、85年からは自身のカンパニーTSミュージカルファンデーションで意欲的なオリジナル作品を発表してきた謝さん、目下ミュージカル『GARANTIDO』の稽古中です。そのエネルギーの源をとくと伺いました!

松島 まり乃

執筆者:松島 まり乃

ミュージカルガイド

“すべての芸事”を学ぶことができた、宝塚での日々

“芸事が大好き”だった謝さんの少女時代

“芸事が大好き”だった、少女時代の謝さん 写真提供:謝珠栄

――ここからは謝さんのこれまでについてうかがいたいと思います。謝さんは幼少期からバレエやお琴などをされていたそうですが、芸事を極めるために宝塚に入られたのですか?それとも宝塚に憧れて、でしょうか?

「最初から宝塚を目指していたわけではないんです。私は子供の頃から踊ったり歌ったり、楽器を弾くことが好きで、学生タレントとしてテレビにも出ていました。そんな折に、宝塚が上演した『ウェストサイド物語』を観て、女の人だけでこういう舞台をやるなんてすごい!私もやりたい!と思ったんですよ。女性ながらに2メートルのフェンスを飛び越えている姿がすごくかっこよかった。それで急遽勉強して、翌年宝塚に入ったんです。

舞台を体験して、映像より舞台のほうが絶対面白いと思いましたね。映像は失敗しても編集することもできるけど、舞台はそうはいかない。その緊張感、ライブ感は全然違います。お客様が笑ったり涙したりしていることはこちらにも伝わってくるし、その“共有感”は舞台ならでは。自分の演技を観て涙を流してくれている、これほど素晴らしい一体化というものはないんじゃないかと思います」

――ご自身にとって宝塚はどういう場でしたか?

「音楽学校は2年間教育で、その後、歌劇団に5年在籍しました。音楽学校ではあらゆる芸事を教えてもらいましたね。スパニッシュやタップ、体操、琴…。自分ではそんなに沢山の習い事をするのは無理だけど、音楽学校だと12くらい科目があるんです。それらすべて好きだったし、今の私にものすごく役に立っています。日本舞踊の振りもつけることが出来ますし、スパニッシュだってできる。宝塚っていろんな国のものをやるじゃないですか。今の振付家の中にはジャズダンスしかやってこなかった人が多いけど、宝塚でいろんなことをやらせてもらったことが、今、すべてが私の中に根付いています。

だからこそ、今いろんな国のものがやりたいんだろうなと思うんですね。いろんな国の音楽を使いたい。洋楽というと一つしかないと思われているけど、アジアのものだっていいものがあるし、ヨーロッパだっていろいろある、それをお客様に伝えたいと思います」

――宝塚出身の方の中にはコメディセンスに長けた方も多いですよね。土地柄でしょうか?
写真提供:謝珠栄

写真提供:謝珠栄

「そうかもしれないですね。大地真央さんはじめ、やっぱり関西だから面白い“間”を持っていますね。私が宝塚にいたころも、周りに面白い人が沢山いたんです。“いちびり”っていうんですけど、すぐ乗ってくれる、おどけてくれる人ばかり。だからコメディの巧い方が昔はいっぱいいましたよ。今の宝塚の生徒は真面目だからどうかわからないけど、私たちの時はほんと面白い先輩たちがいらっしゃいましたからね」

――宝塚退団後、NYでファッションを学ばれたのですよね。デザイナーを目指されたのですか?

「社会勉強をしたかったんです。学生タレントだったころ、高校から留学するつもりで、学校もバークレー高校に決まっていたんです。この前、柚希礼音と話しをしたら、彼女も宝塚に入る前は留学が夢だったそうで、“おんなじや!”と言ってましたね。

当時、巷でブティックという言葉がよく聞かれるようになって、ファッションに興味もありましたから、FITファッション工科大学という学校でディスプレイと立体裁断の勉強を、それと英語学校で英語の勉強も始めました。実業家というか、ファッションデザイナーになりたいという夢もあったんですが、帰国して友人のブティックを手伝っているうちに、ひょんなことから人生が変わっちゃったんです。

知り合いが自社ビルを建てるにあたって、そこで子どもたちのダンス教室を創ってはどうかと持ちかけられて、振付家の山田卓先生にご相談したら、“それもそうだが、今NHKの『歌のグランドショー』で振付助手が必要だ、箔がつくから上京せえへんか”というお話をいただいたんです。1年やって箔をつけるつもりで上京したら…こんなことになっちゃった(笑)」

――謝さんは劇団四季、東宝ミュージカルから夢の遊眠社、こまつ座などさまざまなカンパニー、演目に振り付けてこられましたが、その中で大切にしてきたものはありますか?
『マイ・フェア・レディ』(1994年帝国劇場)写真提供:東宝演劇部

『マイ・フェア・レディ』(1994年帝国劇場)写真提供:東宝演劇部

「私の振付の特色の一つとして、手振りが多いということはあると思います。演目によってはダンサーではなく、役者さんを振り付けることもあって、演出家が“踊ってみてください”とおっしゃっても、手も足もでないことがあります。そういう時、足はふだん歩くことしかしないので振りが付くと役者さんは考えてしまうけど、手は日常的に使っているから、カウントしながら自然に動かすことができるんです。最近のダンスで、たとえばヒップホップには手振りがすごく多いけど、私にしてみれば“昔からやっていたこと”ですね。手振りのたくさん入った踊りを作りだしたのは、私が初めてだったかもしれません」

――一つを選ぶのは難しいかもしれませんが、特に思い出に残っている振付作品は?

「もちろん全部思い出深いですが、中でも『マイ・フェア・レディ』の市場の場面などは特に思い出がありますね。帝国劇場という大きな舞台で、40人くらいの大人数に振り付けなくてはいけない。そこで、私が得意なものの一つだったリフトも活用しました。バレエの人たちは皆さんリフトをしますが、バレエ経験がないダンサーたちはリフトをしたことがないので、一生懸命教えて。頑張りすぎて私も首をねん挫したことがありましたね(笑)。でもリフトを使うと立体的なダンスを作ることができて、楽しかったです」

*次頁ではTSを立ち上げた経緯、その後を伺います。
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