阿久津にとっての痛恨
一方の阿久津にとって、この事件はどう映っただろうか?今回の対局に際して貸し出されたAWAKE。プロ棋士としての名誉をかけて、おそらく最大限の研究をしてきているはずである。天才であるプロ棋士が本気で研究すれば、きっと、この剣をすでに見つけているはずだ。だとすれば、どうなのか。しめしめ、やっぱり自分の研究通りだとほくそ笑むだろうか?これは、あり得ない。この事件は阿久津にとっても痛恨となったはずだ。AWAKEを破った山口氏の「この後、挑戦する人も使ってほしい」発言がある。もちろん、山口氏は「挑戦」という言葉を使っているので、100万円獲得に挑むアマを想定しての発言だろう。「挑戦」ではなく「対戦」する阿久津に「使ってほしい」と語っているのではない。
しかし、世間はどうとるか?阿久津がこの剣を抜けば、アマの真似をしたプロ、正攻法から逃げた棋士とのレッテルを貼られてしまうかも知れない。抜けば勝てる。しかし、その刃は己をも傷つけるやもしれぬ。事件により、剣は両刃となっていった。
阿久津の逡巡と葛藤
2月28日の「△2八角・事件」から日にちが流れた。そして、3月11日。電王戦の主催者であるドワンゴ社が阿久津へのインタビューを行った。これは、裏テーマを知るものにとって阿久津の心を探る格好の舞台となる。彼の語りにかいま見える逡巡を探り、その葛藤をガイドしたい。阿久津は、こう語っている。自分は心のブレが大きいタイプだと思うので、電王戦を通じて心の部分を鍛えたい。/阿久津
心……。阿久津が語る「鍛えたい心」。やはり、阿久津は2本の剣を持っている。揺れ動く振り子のように、迷っている。正攻法でいくのか、両刃の剣を使うのか。どちらを選ぶのか?この逡巡を「心のブレ」と表現したのではないか。そして阿久津は、こう加えた。
その先……?電王戦はFINALである。先などないはずだ。ましてや、これまで全敗の人類は「けじめ」まで求められている。阿久津は電王戦の成果を、次の棋戦、つまり棋士同士の戦いにつながるようにしたいと言っているのか。ならば、対AWAKEに特化された両刃の剣は鞘に収めたままになるはずだ。今回の対局だけでなく、その先も考えて(心を)今後の課題にしたい。/阿久津
そして、阿久津は「AWAKEとの戦いにおいてキーとなる駒は?」の問いに「角」を選んだ。さらに、もう一つ、「銀」も挙げた。「角」と「銀」……。まぎれもなく、あの事件でキーとなった駒である。今一度、山口氏とAWAKEの局面図をみていただこう。ご覧のように事件を演出した駒は「角」と「銀」だ。両刃の剣を暗示するかのような阿久津の言動がここにある。
「勝算は?」の問いに、こう答える。
良い形は良い形で、勝てそうな形は勝てそうな形で、研究を深めつつ(中略)、まあ、勝ちます/阿久津
注目すべき点は、阿久津が「良い形」と「勝てそうな形」を使い分けたことだ。普通に考えれば、「良い形=勝てそうな形」である。あえて分けたと言うことは「悪い形だが勝てそうな形」があるということを意味している。まさに両刃の剣を強く示唆する答えだ。最後に「まあ勝ちます」と締めくくった阿久津。やはり両刃の剣を抜くのか。この日の阿久津に炎は見えなかった。
プロにおける「筋合い」
様々なジャンルにおいて存在するプロとアマ。その違いは何であろうか?そのジャンルにおける実力の差だろうか?たしかにそれは大きな要素ではある。だが、そこは極めてあいまいな部分がある。
たとえばサッカー。プロがアマに負ける試合をご覧になった方は多いだろう。また、テレビを賑わすお笑い芸人より腹を抱えさせてくれる同級生はたくさんいる。将棋においても、早咲誠和氏(過去記事)のようにプロを破るアマは存在する。
ガイドは、全てのジャンルにおいてプロとアマの違いを「筋合いの有無」であると考えている。アマは自分の技、思考、決断など、すべてを第三者からとやかく言われる筋合いはない。簡単に言えば、第三者がなくともアマという存在はゆるぎもしない。だが、プロは違う。第三者があってこそプロが存在しうる。そして、そのジャンルにおける振る舞いの全ての解釈を、観るものに委ねなければならない。とやかく言われる筋合いの成立こそが、プロたらしめる担保である。ガイドはそう考えている。
両刃の鯉口を切った阿久津
結論を言おう。阿久津は両刃の鯉口を切って最終決戦に臨んだ。右図をご覧いただこう。阿久津とAWAKEの局面(19手から20手目)である。山口氏の局面と同じように、AWAKEは誘い込まれてしまったのだ。「△2八角事件」の再現と言えるだろう。そして、わずか21手で勝負が終わったのである。開発者・巨瀬氏が投了。あっと言う間の勝利を勝ち取ったのだ。予想された通り、様々な角度から批評がなされた。ネット上では罵声の域まで達するような批難もあった。開発者である巨瀬氏は、プロの存在意義が問われるとも発言した。開発者としては当然の反応だったとも思う。予期されたこととは言え、否、それ以上に抜いた阿久津をも襲う両刃であったのだ。裏テーマが表のテーマを凌駕していく。プロ棋士もコメントを発する、または、求められる。沈黙するものもいる。しかし、沈黙までもが意味を持つかのようになっていく。
だが、阿久津は沈黙しなかった。
対局後に明らかにしたことだが、彼は貸し出し後すぐに、このクセに気付いていたという。つまり、「△2八角事件」以前に両刃の剣を探し当てていたのだ。だがこの告白すらも素直に受け取らぬ者もいる。
また、阿久津はこれ以外の方法では勝てなかったというニュアンスの発言もする。それほどにAWAKEは強かったと賞賛する。そして、勝ったことが素直に嬉しいとは言えないと、素直そのものに語りもした。
阿久津という天恵(てんけい)
この対戦を観た全ての人に、とやかくいう筋合いがある。よって、私なりのとやかくを書かせていただく。阿久津は天恵のプロである。見事に、ソフトと対戦する最後の棋士としての役目を果たしてくれた。それは、この勝敗を越えたところにある「とやかく」の渦の大きさに表れている。最後の棋士に選ばれた緊張感。両刃の剣の発見。そして、「△2八角事件」。自分の意志以外のところでも進みゆく事態。すべてを自覚し、逡巡と葛藤の表情をかいま見せるインタビュー。そして抜いた両刃の剣。相手への賞賛。大きな批判の渦。電王戦FINALは阿久津にとって、自身が語るように「心を鍛える」天恵であったと思う。そして、これほどの興奮を前哨戦から味わえた私にとっては、阿久津そのものが天恵であったように思える。
「FINAL」を終えた今、阿久津の語る「この先」という未来は、どんな姿を現してくるのか。阿久津の心から、目を離せぬ展開が続きそうだ。
米長の言葉
この最高にして最後のステージを用意したのは「将棋の神か、いや、米長かも知れぬ」と書いた。究極のステージでの大波乱までも含めて、すべてが天恵であるとも書いた。そして、今は確信している。
電王戦を始めた米長邦雄/ガイド画
最後に米長が生前に残した言葉を紹介しよう。彼は電王戦に関して、まるで全てを見通していたかのごとく、こう語っていた。
電王戦の口火を切った米長は、千秋楽のさらに先を見通していたのだ。観ている人がつまらないと感じる将棋になった時に人間が勝つ。そうではない時は人間が負かされる/米長邦雄
阿久津、そして、AWKAEに、もちろん開発者の巨瀬氏、最初に△2八角を明らかにした山口氏に、そして主催者であるドワンゴ社、このイベントに関わったすべての関係者の皆さんに、感謝したい。
そして、最後までお読みいただいた皆さん、ありがとうございました。
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対局データー
先手:阿久津主税八段後手:AWAKE
▲7六歩 △3四歩
▲6八飛 △8四歩
▲4八玉 △6二銀
▲1六歩 △8八角成
▲同 銀 △4二玉
▲1五歩 △3二玉
▲2八銀 △2二玉
▲2六歩 △5四歩
▲2七銀 △5三銀
▲9六歩 △2八角
▲1六香
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事の初公開時を現時点としています。