郷田の将棋はプロレスである
将棋とプロレスは、大洋を隔てている。これは、事実だ。しかし、コロンブスのように渡ることだってできる。これも事実だ。かの大航海を可能せしめたサンタ・マリア号は、将棋とプロレスの間にも帆を広げることができるのだ。では、その帆とは何か?勝負論を超越した観客論である。既述のインタビューでも郷田は観戦者にとってのプロレスを語っている。考えてみてほしい。プロレスに観戦者がいなければ、ただのケンカである。ゆえにプロレスラーは常に観客を意識する。単に勝てばいいのではない。観客を喜ばせなければ、誰も見に来なくなる。そのために、どうするか?希代の名レスラーアントニオ猪木の言葉を紹介しよう。観客を手のひらに乗せるんだ。相手の力が5であっても、6の力、7の力を引き出してやる。そして10の力でしとめて見せる。すると観客は手のひらに乗る。
言葉を換えれば、相手の得意技を受けきって見せると言うこと。だから、ロープにとばされてなぜ戻ってくるのと言う問いは愚問である。相手の技の衝撃度を5から6に上げようと思えば、それが最善なのだ。これがプロレスのキーとなる。
郷田将棋に目を移そう。郷田は、その対局において、相手の得意戦型に飛び込むことを良しとする。いや、もう一歩進んで、それこそを勝負とする棋士なのである。羽生善治もそうである。しかし、羽生はその野生ゆえ、そんな勝負に挑んでいる。この分析に関しての詳細は過去記事をご覧いただきたい。だが、郷田は違う。それは、観客を強く意識してのことなのだ。考えれば、棋士という立場もレスラーと同じである。観客なしにプロは成り立たない。プロレスファンである郷田は、それを痛いほど知っているし、それを確信しているはずだ。これはプロレスファンなら当たり前とも言えることなのだ。ゆえに郷田は相手のフィールドでの戦いを是とする。ロープに振られれば喜んで戻っていくのだ。もう一度、書く。郷田の将棋はプロレスである。
プロレスの神様と呼ばれた男をご存じだろうか。猪木も師と仰いだカール・ゴッチというレスラーである。ゴッチの言葉を紹介しよう。
ゴッチ「近代的なトレーニング機器を使った練習はダメだ。それでは決して強くなれない」
驚くなかれ、プロレスの神様の言葉も、郷田にふさわしいのである。現代棋士達の必須アイテムとも言える「トレーニング機器」はパソコンと言えるだろう。棋譜のデータベースを集積し、日々の研究に利用する。勝負にかける棋士として当然の行動であろう。このパソコンと郷田について、同じくプロ棋士の先崎学がその著『先崎学の浮いたり沈んだり』に紹介している。いわく……。
くどいが繰り返す。郷田の将棋はプロレスである。郷田はパソコンなんて持っていない。先日「持つ気はないの」といったら一言で片づけられた。「パソコン?そんなものより大事なものは世の中にいくらでもある」
郷田への願い
レスラーの中で一番好きなのは?の問いに、彼はこう答えた。郷田「たくさんいますが、やはり小橋建太ですね。引退までずっと観ていました」
現役時代、小橋は三冠(インターナショナル・PWF・UN)王者であった。
ガイドは郷田に望む。これからも盤上でのプロレスを見せてもらいたい。そして、三冠王者となってほしい。願わくば、さらに、その上で語ってほしい。「今日は『がっちゃん銀』で勝ちました。いわゆるカーフ・ブランディングが成功したということです」
その日、私はアントニオ猪木の締めを拝借して叫ぶだろう。
いち・にい・さん……しい・ごうダー!!
補足として
郷田は将棋大陸からプロレス大陸に渡った。逆に、プロレス大陸から将棋大陸にやって来たレスラーもいる。古くはジャイアント馬場であり、アントニオ猪木である。後には天竜・長州・ジャンボ鶴田と続く。そして、現在大活躍の新日本プロレス・田口隆祐がいる。みんな、アマ有段者の腕前だ。また、郷田に対して、我こそがコロンブスであると主張する棋士も忘れてはならない。澤田真吾である。私は彼らについてもぜひガイドしたいと考えている、というか、希望している。その日を思うだけでも、ウキウキである。
お読みいただき、ありがとうございました。
追加情報記事
この記事を初公開した翌日(2015年3月27日)。第64期王将戦七番勝負の最終第7局が行われ、99手で挑戦者の郷田真隆九段が渡辺明王将を破り、4勝3敗で初の王将位を獲得しました。
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事の初公開時を現時点としています。