ミュージカルではすでに次世代のクリエーション、
遊びが始まっている
——私はミュージカルに意外な方が出ていると嬉しくなります。広がりが感じられて。
元々、ミュージカルの形態も意外な広がりからスタートしたものです。ニューヨークのブロードウェイで、ヴォードビルとレヴュー、それにバレエの混合で始まったミュージカルという形態が、現在では韓国も日本も世界中で流行っている。ウィーンもの、フランスものと、限りない広がりです。またブロードウェイの中でも今では、外国物を上演したり、観客参加型だったり。『Rocky』、それにオフ・ブロードウェイの『Here lies love』も観客参加型で素晴らしかった。発想が実に新しい。どちらも同じ演出家で、30代と若い。ネット世代だけに、ウェルメイドより、奇想天外な展開やアイデアが散りばめられています。この先も変化が停滞することはないでしょう。昔、NYに『ブルーマン』を観に行った時、終演後に若い人たちが嬉しそうに「これがミュージカルじゃなくてよかったよ、古臭くなくて!」と言っていました(笑)。ミュージカルは一歩間違えると古臭いというイメージがアメリカの若い世代にはある。その世代を取り込むためにミュージカルも変わってきているんです。
『The Book of Mormon』はミュージカルという形態をパロディにしていますし、ディズニーの『アナと雪の女王』もこれまでのディズニーの形態をあえて逆転させている。すでに次のクリエーション、遊びが始まっているため、今までの普通のやり方をやると古臭く感じる。僕も新しい世界、可能性、それに「こんなことしたら、どうなるか」と童心に戻ったような遊びや捻り、発見に興味がある。だからミュージカルに未来を感じ続けているんです。
——ああ、わかります。亜門さんの作品を観ると、こんなふうにしちゃったんだ!といつも驚かされます。あ、しちゃった!では失礼ですね。
いやいや、その通り、いいんです。『ヴェローナの二紳士』では、あんなふうに冒頭に映像を使っちゃうんだ、と今時の格好をした若者がワラワラ出て来ちゃうんだ、とか(笑)。
——『ヴェローナの二紳士』は今と地続きの物語に仕上がっていましたね。
あれは元々、ミュージカル『ヴェローナの二紳士』自体がシェークスピアを題材に、その時代をパロディ化することでできた作品だからです。だから上演される時代によって違うべきなのです。そこをスタッフ、キャストがどう遊び、斬り込むか。
オペラもそうですよね。オペラの古典的な名作は上演され続けていますが、様々な演出家が視点を変えて挑んでいます、それは古典で収まっていては、ただ作品が廃れていくからです。古典と言われるオペラも、作品が作られた当時は新作で、そこに生きていた人のために作った。初めから「永遠に残る名作に」なんて作っていたら、きっと語り継がれることもない駄作になっていたと思います。つまり、時代を変えて作品を作ることは、初めの創作者たちの「求めるところ」を目指し、共有するべきだと思うのです。
僕が2013年にオーストリアのリンツで世界初演を手掛けた『魔笛』はテレビゲームの中に入る設定で、映像のみで展開したのも、それが理由です。モーツァルトが今、生きていたらテレビゲームの作曲をはしていたかもしれないし、今見る意味を大切にしたい。古典に埃をかぶらせたくありません。
——『魔笛』の画像を拝見したら、美術や衣裳がカラフルでポップで可愛い。今年7月、東京での上演が楽しみです。
日本ではどう受け止めていただけるでしょうね?ただ『魔笛』はオペラというより、「ジュングシュピール」つまり音楽劇と副題がついています。簡単に言うと台詞もあるミュージカルなんです。
今回のプロダクションは劇場側から「台詞は古すぎるから変えてください」と依頼もありました。しかしモーツァルトが「求めるところ」は変わらないようにしたつもりです。モーツァルトはフリーメイソンに入りながらも、フリーメイソンだけが正義ではないと、もの申した作品だと思います。一般大衆に向けた、強いメッセージがあり、かつとても楽しい。モーツァルト独特の人間愛を表現しようと、家族やパートナーへの愛を大切にして試みました。