ここでは、映画で変更されていた点を踏まえ、原作にあった「利他行動」と「利己的遺伝子」という考え、そして「満足」というキーワードから『寄生獣 完結編』という作品を読み解いてみます。
『寄生獣』は1980年代後半に雑誌月刊アフタヌーンで連載され、講談社漫画賞や星雲賞を受賞し、海外でも高い評価を受けている作品です。たった10巻(完全版は全8巻)の中に、人間ドラマ、グロテスクな寄生生物の斬新なアクション、人間の根源に迫る哲学に至るまで、いま読んでも新しい発見がある奥深さがある、エンターテインメント性とメッセージ性を兼ね備えている作品でした。公開中の映画版でも、その根源となるおもしろさは変わっていません。
まず、漫画と映画との違いについて書く前に、漫画にある「講義」についてふれておきましょう。
「利他行動」と「利己的遺伝子」とは
原作の第5巻(完全版でも5巻)の第36話「悪魔の面影」には、「寄生生物・田宮良子が受けていた大学の講義」が収録されています。これは映画ではカットされたシーンですが、作品に重要な意味を与えるものでした。講義内容の「動物の利他行動とその疑問点」は、以下のようなものです。
(1)利他行動とは
・自分が損するのにも関わらず、他人を思いやる行動。これは人間ではそう珍しくない行為であり、人間だけでなく動物にも見られる。
・それは、じつは種(しゅ)を守るための本能ではないかと言われてきた。
・しかし、種を守るためではではないと言わしめる例に「子殺し」がある。子殺しとは、自分の子どもではないにしても、同種の子どもを殺してしまうことである=同じ種を殺してしまうのでは、種を守るための行動とは言えない。
(2)利己的遺伝子説とは
・子殺しは、種でなく自分の遺伝子を受け継ぐ子孫こそ大事なのだという、利己的な遺伝子が招いた結果だと説明できる(利己的遺伝子説)。
・利己的遺伝子説を広げていくと、仲間への思いやり、家族愛、夫婦愛、母性愛も説明できてしまう=愛というものは存在しないと言っていい。
・しかし、この説にも疑問はある。なぜなら、自分の遺伝子とまったく関わりのない他者を助けること、種すら違う相手を保護するという動物の事例があるからである。
なんだか頭がこんがらがってきそうですが、簡単にまとめれば「他人のための行動だと思っても、じつは本質的には自分のためなのでは?」という疑問を投げかけている講義内容とも言えるでしょう。
人間がやっている環境保護なども、一見「利他」に思えても、人間という種を守るための「利己的遺伝子」によるものなのかも? と考えられるのかもしれません。 この「利他行動」と「利己的遺伝子」を頭に入れておくと、『寄生獣』という作品がさらに奥深く感じられるのが、おもしろいところです。
※注意※次ページからは原作漫画『寄生獣』ならびに映画『寄生獣 完結編』のネタバレを多分に含みます。作品をご覧になってから読むことをおすすめします。
ここからは、いよいよ原作と映画『寄生獣 完結編』の違いについてふれていきます。