パナソニックをV字回復に導いた二度の組織改編
パナソニックはその前身である松下電器産業の時代から、事業部制をいち早く取り入れた企業として有名です。その歴史は古く、スタートは創業者の松下幸之助氏による昭和8年(1933年)にまでさかのぼります。それから約70年の長きにわたり脈々と受け継がれた事業部制は、独立採算に代表される形でいわば社内で切磋琢磨し合う文化を生み出し、その後の世界的発展の礎となる組織風土として根付いてきたと言えるでしょう。しかし90年台後半に家電のデジタル、ネットワーク化の急速な進展により、国内家電業界は予期せぬ激震に見舞われます。製品サイクルの短期化や価格の急激な下落は、業界に構造不況的な打撃を与えました。パナソニックはこの局面を打破すべく、01年に大ナタを振るう大改革に着手します。その目玉となったのが、創業時から脈々と続いていた事業部制の廃止でした。
パナソニックはなぜ事業部制をやめたのか
「松下電器=パナソニック」は組織編成の見直しで二度にわたりV字回復を果たした
そしてまた事業部制への回帰
世界市場制覇をめざしパナソニックへと社名を変更した松下電器でしたが、製品路線に生じた迷いに加え円高不況とアジア勢の台頭による低価格化の波をモロにかぶり、12年には史上最大の巨額赤字を計上します。これ受けてとった背水の戦略が事業部制への回帰だったのです。「プラズマの失敗に、営業と生産の現場の連携が必要と改めて実感した」とのトップ判断でした。01年の廃止から実に12年ぶりの復活でした。そしてこの事業部制への回帰は、同社に再び驚異的なV字回復をもたらせました。確かに円安の恩恵もありますが、同じ恩恵を受けているはずのソニーが依然業績低迷を続けている姿を見るに、回復の要因は別にあったとみるべきでしょう。すなわち、事業部制への回帰です。この判断の好結果は市場ニーズを踏まえた「選択と集中」による事業再編という形で現れました。具体的にはプラズマディスプレイからの全面撤退、住宅関連部門、自動車関連部門への軸足シフトです。