ジェロニモス修道院とベレンの塔の歴史 1.大航海時代の幕開け
サンタ・マリア教会の2階に掲げられたイエス像。よく見ると背後の柱にも繊細な装飾が施されているのがわかる
ジェロニモス修道院の西ファサード。教会、回廊、修道院以外の場所は国立考古学博物館、海洋博物館として公開されている
1414年、ポルトガル国王ジョアン1世と息子エンリケは、イスラム教徒たちのイベリア半島進出の拠点であった北アフリカのセウタを攻略(詳細は「ポルト歴史地区/ポルトガル」参照)。ここを足がかりに、アフリカにあるという「黄金の国」、キリスト教大国「プレスター・ジョンの国」、インドへ続く航路があるという伝説をもとに、アフリカ南下に着手する。
サンタ・マリア教会のステンドグラス
さらに1500年にはカブラルが南米のブラジルに漂着。これ以降、ポルトガルはアフリカ・アジア・南米からもたらされる金や香辛料、砂糖、奴隷などによって莫大な富を得て、ヨーロッパ随一の繁栄を勝ち取ることになる。
ジェロニモス修道院とベレンの塔の歴史 2.繁栄の象徴
サンタ・マリア教会の黄金の祭壇。教会内部にはこうした数々の祭壇が設けられている
サンタ・マリア教会に収められたヴァスコ・ダ・ガマの棺。近くにはポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンイスの棺がある
その富を背景に、マヌエル1世は芸術を振興した。リスボンに集められた芸術家たちは当時の流行だったゴシック様式を導入しながらも、ポルトガルらしい独自のスタイルを探求。これがマヌエル様式の誕生につながった。
マヌエル1世はエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を記念して、ヴァスコ・ダ・ガマが出航したベレン地区にふたつの建物の建造を開始する。これがジェロニモス修道院とベレンの塔だ。
14世紀から建築が進められ、エンリケ航海王子の父・ジョアン1世の時代に完成したバターリャ修道院。マヌエル様式の萌芽が認められる
しかしながらジェロニモス修道院の一部は未完のまま残され、その後スペイン、オランダ、イギリスの台頭でポルトガルが没落すると建設は中断され、結局完成は19世紀にずれ込んだ。
一方、ベレンの塔は1515~1521年の建造で、首都リスボンを流れるテージョ川の中州に監視砦として建てられた。現在川岸に立っているのは川の流れの変化による。