江戸料理の名店『八百善』が、明王院境内に10年ぶりに開店
『八百善』は、1717(亨保2)年の創業という、約300年の歴史をもつ江戸料理の名店。店名は、八百屋から身を起こした善四郎に由来し、当主は代々「栗山善四郎」を襲名。文政年間には、十一代将軍・徳川家斉が四代目・善四郎の別荘に立ち寄り、その時代の一流どころを歌った狂歌に、
詩は五山 役者は杜若 傾はかの
芸者はおかつ料理八百善
と歌われたほど。
四代目・善四郎著『江戸流行料理通』に描かれた八百善の様子
その後も黒船のペリーや、「ラストエンペラー」として知られる満州国皇帝溥儀(ふぎ)の来日時の饗応料理も担うなど、天下にその名を知らしめて来ました。
近年は、銀座や新宿高島屋などに店を構えていましたが、平成15年を最後にすべての店を閉店。しかし、2013年、10年ぶりに鎌倉の明王院境内に店をオープンしました。
八百善 門構え
しかし、なぜ、江戸料理の名店が鎌倉に店を?というのは、誰もが思うことではないでしょうか。
そのヒントは、毎年、5月頃、かつおが美味しい時期に客席を飾る「掛け軸」にありました。(今回は、取材のために特別に掛けていただきました)
狩野素川筆、大田蜀山人賛 初がつおの掛け物
「鎌倉の海よりいでし初がつを みな武蔵野のはら(腹)にこそ入れ」
という大田南畝(蜀山人)の賛が入っていますが、庶民には高嶺の花の鎌倉沖で捕れた初かつお、『八百善』が相当な高値で仕入れていたということが、当時の随筆に書かれています。
今でこそ、鎌倉の漁業は、かなり衰退してしまいましたが、江戸時代、小坪(現在の逗子市小坪)など、鎌倉の海は魚の種類の豊富な漁場として知られていたそうで、『八百善』の江戸料理にも、鎌倉の海の幸がだいぶ使われていたようです。
そうした鎌倉との縁を知ると、鎌倉で新しい『八百善』がスタートしたことも、なるほど!と思います。
次のページでは、八百善のお料理を紹介します。