『モーツァルト!』観劇レポート
「残酷な人生」を懸命に生き切る青年の
輝ける生のドラマ
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
今は亡きモーツァルトの墓を妻コンスタツェと研究者が探すうち、その生涯が蘇る。短くも激しく、栄光と苦悩に彩られた35年の人生が……。
5歳で作曲を始め、父や姉とともに演奏旅行で各地を飛び回っていたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。幼年期に「神童」としてもてはやされた彼の物語は、はじめこそ「偉人伝」の幕開けのように見えますが、時が過ぎ、宮仕えに窮屈さを感じる彼がロック・ミュージシャン的な姿で登場することで、一気に「或る青春の物語」へと転換。子役が演じる分身「アマデ」の存在を重く感じながらも、ヴォルフガングは父レオポルトや「主人」である大司教にたてつき、その庇護を拒絶することで自我を確立しようとします。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
しかし生活能力の欠けた彼は要領よく世間を渡れず、欲望にまみれた人々に搾取され、見つけたと思った真実の愛もうまく育てて行くことができません。どん底の彼を謎の人物が訪れ、「レクイエム」の作曲を依頼。すべての迷いから醒めたかのように、ヴォルフガングはペンをとりますが、皮肉にもその時、彼の命の灯は尽きかけていた……。
「大人になりきれない」青年がもがき、傷つく中で自身の生きる道を見出した途端「死」が訪れる。輪郭だけを見れば、それは「敗北の人生」かもしれません。しかし、舞台を観た後に観客が得るのは、ひたすらに彼が生き切った「生」への、深い感動ではないでしょうか。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
筆者が観た回のヴォルフガング役・山崎育三郎さんは快活な身のこなしと確かな歌唱力で、ヴォルフガングの「無邪気だが不器用」な側面を、鮮烈に体現。とりわけ「僕こそ音楽」等での台詞から歌への移行の「巧さ」に、モーツァルト役にふさわしい天性のセンスを感じさせます。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
ヴォルフガングに自分の娘を押し付けようとするウェーバー夫人・阿知波悟美さん、彼の才能や金を悪気なく利用するシカネーダー役・吉野圭吾さんは、「世間のいやらしさ」を絶妙のさじ加減で演じてヴォルフガングのナイーブさを際立たせ、父レオポルト役の市村正親さん、大司教役の山口祐一郎さんは、主人公の前に大きな存在感で立ちはだかりつつ、それぞれのナンバーで秘めたる挫折感を陰影深く吐露。「苦悩」は決して青春だけに宿るものではないことを示しています。彼の理解者ヴァルトシュテッテン男爵夫人役・香寿たつきさんの、凛として優雅なたたずまいと歌声にもスケール感があり、ヴォルフガングに旅立ちを示唆するナンバー「星から降る金」が、本作の陰の主題歌であることを存分に示しています。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
また今回は姉のナンネール役を、花總まりさんが好演。天真爛漫な少女時代と、女性であるがゆえに才能を開花できない寂しさを抱えた娘時代をくっきりと演じ分け、彼を取り巻く人々それぞれの悲劇にさらなる奥行きを与えています。終幕、ナンネールが弟の遺した「才能の小箱」を開き、溢れ出る音楽に包まれながら虚空を見つめる「静」の構図の美しさは、思い入れ表現を得意とする花總さんならではのものでしょう。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
終盤、ペンをとるヴォルフガングの背中を押すように聞こえる、亡くなった父とおぼしき人の声。「自分の力で書くのです」という、市村さんの万感こもったメッセージは、ヴォルフガングを鼓舞し、それまで舞台上で分身の「アマデ」にさせていた作曲を、初めて自身で手がけさせます。譜面にすらすらとペンを滑らせる子役の「アマデ」とは違い、その姿は生々しく、壮絶。およそ「天才」のイメージとは異なりますが、それは同時に亡き父の思いを受け止め、「自分の力で書く=生きる」ことに目覚めたヴォルフガングの、輝ける「生」の瞬間でもあるのです。
『モーツァルト!』写真提供:東宝演劇部
リーヴァイによる重厚な旋律、黒バックを生かしたセットにハッピーとは言えないストーリーと、本作の要素はことごとくヘビーでありながら、観終わった観客の体内には沸々と、今、そして明日を生きる気力、精一杯生き切るための勇気が湧いてくる。青春のただなかにある人たちにも、成人してさらに厳しい世を渡っている人々にもお勧めできる作品です。