マネジメント/マネジメント事例

ダイエーを消滅させた「ふたつの誤算」とは?(2ページ目)

イオンがダイエーを完全子会社にする方針を発表し、長年日本国民に親しまれたスーパー「ダイエー」の名が消えることになりました。「価格破壊」をスローガンに消費者に届くあらゆるものの価格低下に取り組み、一時期は流通革命の風雲児とまで言われたダイエー。一世を風靡したダイエーがなぜ、その名を消すことになってしまったのでしょうか。マネジメントの観点から考えます。

大関 暁夫

執筆者:大関 暁夫

組織マネジメントガイド

さらに追い打ちをかけたのが95年の阪神淡路大震災でした。この時ダイエーは「迅速な営業再開」「便乗値上げ反対」の姿勢を強く打ち出し世間に「消費者の味方」をアピールしましたが、その陰で施設が受けたダメージは甚大でした。低下した資金調達力の前に建物の再生をやむなく閉店した店舗、老朽化と地震のダメージをあらわにしたままの営業を余儀なくされた店舗。震災の爪痕は不調にあえぐダイエーに、イメージダウンの追い打ちをかけたのでした。

致命傷は「消費者が見えなくなった」戦略

致命傷となった中内ダイエーもうひとつの誤算は、価格破壊にこだわり続けた対消費者戦略の誤算です。ダイエーは「主婦の店」の時代から、価格破壊がその対消費者に対する戦略の核であり続けました。昭和の時代にはメーカー主導の家電価格設定に異議を唱え大きな支持を得ます。大手メーカー主導のプロダクトアウト的価格統制に消費者主導のマーケットインの姿勢で自社ブランドの安価なテレビを発売し、喧嘩をしかけたこともありました。

解説

なんでもそろうが欲しいものはない?

「よい品をどんどん安く」のスローガンの下、旧態依然とした流通機構を独自のルートに転換することで価格破壊を実現し、一定の品質を保ちながらより安い価格で消費者に商品を提供する。この基本戦略がダイエーを成長させたのです。しかしこの価格優先の戦略は、時代の流れの中で消費者の嗜好の変化とともに陰りが見え始めます。90年代半ば以降、「安い価格」と同時に「高い質」が求められるようになり、くしくも土地神話崩壊に苦しんでいたダイエーは一層窮地に立たされることになったのです。

それでもなお、「消費者はより安くより多くのものを手に入れることを望んでいる」という中内オーナーの信念の下、価格優先路線を突き進んだダイエー。遂にはその慢心から、「ダイエーにはなんでもそろうが、欲しいものはなにもない」とまで言われる状況になってしまいました。「消費者が求めるものは最後は価格」という基本は、時代が変われど変わることはないと信じて疑わなかった中内オーナー。ダイエーからの完全退任を決めた際の氏の一言「消費者が見えなくなった」は、あまりに象徴的な言葉でした。

顧客本位のマーケットイン姿勢で成長してきたはずのダイエーは、いつしか自己の策に溺れ、知らず知らずに企業本位のプロダクトアウト姿勢に変わってしまっていたのでしょう。ダイエーの凋落の引き金を引いたのはバブル経済の崩壊でしたが、「価格重視」から「品質重視」に移行した消費者の動向を見誤り、戦略の転換に大きく出遅れたことが最終的に企業イメージ面からも致命傷となり、再建を難しくしたのです。

国民の誰もがその名を知る大手スーパーダイエーは、こうしてその姿を永久に消すことになりました。流通業界で今一人勝ちの感が強いセブン&アイの鈴木敏文会長は、「真の競争相手は同業他社ではなく、絶えず変化する顧客ニーズ」と話しています。鈴木氏の言葉を借りるなら、ダイエーの崩壊は敵を見誤った結果であると言えるのかもしれません。
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