またバブル経済崩壊以降の低金利も追い打ちをかけました。この状況下では、資産ボリュームが小さい日本の富裕層が食べるに困らない資金を生みだすには、当然リスクを負うことが基本になります。ところが、国が管理する世界有数の規制金融に慣らされた日本の富裕層にとって、リスクに対する意識ハードルは依然として高く、重い腰はなかなか上がらない状況が続いたのです。
こうして見ると、完全なる戦略の読み違えがそこに読みとれます。バブルに踊った日本経済を過大評価し、海外先進国の感覚で日本の資産家層を捕まえに行ったがためのミステイクです。全く同じ過ちを、日本で140年超の歴史を持つ英国の金融グループHSBC(日本では香港上海銀行)もおかしています。彼らもまた90年代に日本でプライベートバンキング業務の大風呂敷を広げましたが、12年にシティに先立つ形で個人業務から完全撤退したのです。
国内家電メーカーにも同様の戦略的ミス
同じようなミステイクは、日本の家電業界の海外戦略にも見て取れます。2000年代に入って、日本の技術力を持ってアジア各国の市場を取りに出た白物家電戦略。特に洗濯機は東南アジアの途上国を有望市場として大々的な販路拡大に打って出ました。日本では過去の製品二槽式がアジアでは人気
日本国内における常識的な製品戦略が役に立たなかった典型例です。電気洗濯機になじみの薄いアジアの多くの国の人々は、まだ見ぬ機械における手間を手間と感じる段階になく、そのニーズはごく自然な形で一槽式全自動洗濯機よりも安価な二槽式洗濯機に向かったのです。
自国で成功した企業は、ついつい自国での勝ちパターンを前提としてより大きなマーケットを求めて海外に市場を求めがちなのです。しかし、海外には国それぞれに自国とは違った文化や歴史的背景が存在するのです。それに気づかずに長らく自国と同じ戦略で突き進むことで、大きなロスを生むこともままあるのです。シティの個人業務撤退は、そんな海外戦略に潜む落とし穴を示唆する事例であるといえます。