世間への届け手・音二郎
もちろん、思想そのものが持つ魅力が第一であろう。だが、それだけでは世間には届かない。板垣がどれほど声を上げようとも、当時の民衆にとって「自由・平等」という思想は難解な話であったろうし、一部のインテリしか反応できぬものであったろう。しかも、板垣は大久保利通らとの政争に敗れ下野している政治家。いわゆる負け組である。意地悪な見方をすれば、「自由・平等」は負け犬の遠吠えだ。そんな「遠吠え」を「思想」と認知させ、「運動」へと昇華させるには世間への「届け手」が必要だった。それも、たぐいまれなる発想力を持つ届け手でなければならない。幸いにも、時代は、そんな人間を用意していた。川上音二郎という男である。興行師でもあり芸術家でもあった音二郎は、天空に鎮座する思想を、耳元まで降ろしてくれた。どうやったのか。まず、奇抜な出で立ちで世間の目を集めた。そして演じてのけた、自由・平等を皆が口ずさめるような歌にして。そのタイトルは、なんと「オッペケペー節」である。自由・平等がオッペケペーなのだ。なんとも奔放なネーミングである。さわりの部分だけでも、紹介しよう。
権利幸福きらいな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい
オッペケペー オツペケペッポー ペッポッポー
かたい上下の角とれて マンテルズボンに人力車
いきな束髪(そくはつ)ボンネット
貴女に紳士のいでたちで
うわべの飾りはよいけれど 政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない こころに自由のたねをまけ
オッペケペー
「自由・平等」は、この日本史上初のジャニーズポップあるいはジャパニーズラップともいうべき翼を得て、野火のごとく広がっていったのである。
将棋界が待つ音二郎
何度も過去記事で述べたが将棋は難解である。そこが魅力なのだ。将棋を知れば知るほど、その迷宮が楽しくなり、魅了されていく。だが、将棋を知らぬ人たちにとって、迷宮は単なる設計失敗の建造物でしかない。彼らはその入り口に立つことさえも拒むだろう。それでは、板垣ら政治家だけの自由・平等と同じことになってしまう。大衆に将棋の素晴らしさを伝えなければ、将棋文化に未来はないのだ。まずは、扉までいざなうことが肝要だ。だが、それはとても難しい。こんなエピソードがある。ある男性が将棋中継を観ていた。将棋ファンである彼は、プロ棋士同士の熱戦に手に汗を握っていた。難しい局面で、手番の棋士がじっと考え始めた。ファンにはたまらない場面である。その時、隣にいた恋人女性がつぶやいたそうだ。
「ああ、つまんない。なんなのこの人、さっきから睨んでばっかり。さっさと行けば(指せば)いいのに」
棋士が脳に汗をかき、真剣に先の先を読む最高のシーンも、知らぬ人から見れば「睨んでいる」としか映らないのだ。この女性を迷宮の扉までエスコートするという作業は大変な難事業なのである。ネット将棋、ソフト将棋という新たなメソッドが出現し(関連過去記事)、より多くの人が将棋に接する機会が増えた現代だからこそ、将棋界には世間への届け手である音二郎が必要なのだ。