演歌・歌謡曲/演歌・歌謡曲入門

沢田研二入門(2)1968年~1969年(2ページ目)

日本近代音楽の巨人『沢田研二』。彼の作品、事績にふれながら日本の歌謡曲、ポップス、和製ロックの歴史に対する理解を深めてゆくコーナー『沢田研二入門』。第二弾はグループサウンズ・ブームの頂点に駆け上がった1968年から加橋かつみとの別れを経てザ・タイガースが変質してゆく1969年までをご紹介。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

沢田色の強まるタイガース

加橋の穴を埋めるため岸部シローが加入した新生ザ・タイガースは、次第に沢田をメインにした売り出し方にシフトしてゆく。グループサウンズ・ブーム自体も終焉を迎えつつあった。

象徴的に思えるのは1969年7月にリリースされたシングル『嘆き』
この曲ではこれまで重視されていたメンバーのコーラスがなく、演奏もおそらく大半がスタジオミュージシャンによるもの(多忙ゆえにスタジオミュージシャンを使ったのはこれが最初ではないが)。

曲調も布施明のようなソロ歌手が歌っていてもおかしくないような感じで“別にバンド名義でやる必要のない音楽”と言える。

これ以降もコーラスワークを遺憾なく発揮したシングル『スマイル・フォー・ミー』(1969年7月)、メンバー自ら作曲したシングル『素晴しい旅行』(1970年7月)などがありバンドとしての実体がなくなったわけではないのだが、渡辺プロの戦略転換はメンバー間にすきま風を吹かせていった。

ファースト・ソロ・アルバム『JULIE』

沢田研二ソロ名義でのファースト・アルバムもこの時期にリリースされた。その名も『JULIE』(1969年12月)。
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全曲にわたって作詞、作曲、編曲を安井かずみ、村井邦彦、東海林修というザ・タイガースでもおなじみの作家陣が手がけており、またタイガースとしてリリースしたシングル『君を許す』(1969年12月)も収録されているという"ソロ・アルバム"としてはなんとも中途半端な企画で、特にこれと言ってきわだつ曲もない……が、オリコン2位、10万枚以上を売り上げる堂々のヒット・アルバムとなった。

まだシンガーとして発展途上な不安げな歌声と、中庸な美少年然とした歌詞とメロディーの織り成すハーモニーはただただ甘ったるい。

しかし「それがこの時期の魅力」というファンは多いだろう。
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