東京タワーズが結成される
ガイド:加藤賢崇さん、お久しぶりです。既にサエキけんぞうさんには、『ハレはれナイト』およびインド大話術団についてインタヴューをしていますが、賢崇さんには東京タワーズと今回復刻されたソロ・アルバム『若さ、ひとりじめ+10』を中心にお話を伺います。よろしくお願いします。
『ハレはれナイト』復刻 (All Aboutテクノポップ)
賢崇:
四方さんには昔からいろいろ記事に取り上げていただいて、活動をフォローしてくださってありがたいと思っております。
ガイド:
ソロの話の前に『ハレはれナイト』にも収録されている東京タワーズについて。結成は1982年ですから、まだテクノポップ~ニューウェイヴに勢いがあった時期ですね。川勝正幸さんに紹介された中嶋勇二さんと意気投合したのが東京タワーズ結成のきっかけとありますが、当時どんな話で盛り上がったのでしょうか?
賢崇:
中嶋くんと川勝さんが出会ったのもS-KENのイベントということで、東京ロッカーズの話題とか、中嶋くんが高校時代ムーンライダーズのコピーバンドをやっていた、とか、そのへんの話題ですかね。まあ映画、漫画、スポーツなど何でも話の合う人と出会った感じでしたね。
ガイド:
ライヴではカヴァーもよくされていたと聞きましたが、どのような曲のカヴァーをしていたんですか?
賢崇:
当時の演奏曲目もほとんど、自分のサイトに記録で残しています。傾向としては、特撮・アニメソング~橋幸夫/舟木一夫/西郷輝彦など60’sリズム歌謡~ペレスプラードなどラテンナンバー、という変遷です。
東京タワーズ (kenso kato official web)
ナゴムレコードとの関わり
ガイド:ナゴムレコードは、もともと東京タワーズと有頂天による共同設立で始まったのですよね。でも、東京タワーズのリリースはナゴムからなく、休止、再編を繰り返されました。ナゴムがその後注目され、ちょっと不運な感じもするのですが、振り返ってみてどうでしょう?
賢崇:
実際には、ケラがナゴムに幅広く様々なよく知らないバンドまで「集めすぎた」感じと、有頂天自体はナゴムと離れたとこでパンク系のバンドばかり対バンする時期があって、ぼくたちのほうから「ちょっとノリが違ってきちゃったな」と距離を取ってしまったようですね。
東京タワーズから京浜兄弟社へと
ガイド:東京タワーズで一緒に活動された岸野雄一さんのその後の活動母体にも、タワーズとつくものが多いですね(コンスタンスタワーズ、フォルティタワーズ、ワッツタワーズ)。これは岸野社長に訊くべきかもしれませんが、タワーズに対する執着は一体どこから来るんでしょう?
賢崇:
どうなんでしょう? タワーという語感だけでも面白いのに、複数形になって、しかも高いものを表すこと以外にも使われてるというのが、イメージに広がりがあるのかもしれないですね。ちなみにハリーアランタワーズという表記を使っていた時期もありました。
ガイド:
京浜兄弟社の方々が『ハレはれナイト』に多数参加されていますが、「京浜兄弟社は東京タワーズのファンクラブが母体になって作られた」と聞いたことがあります。この表現が正しいか、またこのあたりの経緯について教えてください。
賢崇:
84年当時高校生だった常盤響くんが「東京タワーズ・ファンクラブを作りましょう」と言ってくれたんですが、同時に彼は友人たちと京浜兄弟社というミニコミなどを作るグループを作っていて、そっちのが面白そうだと、その後タワーズ周辺に集まる音楽仲間をみんな京浜兄弟社に引き入れたということにして、タワーズのほうが京浜を乗っ取った形ですね。このへんの細かい経緯については、京浜兄弟社オムニバスも近い将来にリイシューされるプランもありますので、そこでまた詳しく語られると思います。