マイノリティの生き様を存分に表現している『X-MEN』
ヘルメットをかぶっているのがマグニートー、車いすの人がプロフェッサー。二人は共に強大な力をもつミュータントながら、人類への対峙の仕方をめぐって立場を異にし、時に対立します。
まず、プロフェッサー率いるX-MENは、突然変異によって誕生したミュータント(マイノリティ)の集団なのですが、人類(マジョリティ)との平和的共存をめざし、人類と敵対するマグニートー率いるブラザーフッドと戦います。同じミュータントでありながら、穏健派と過激派に分かれ、争っているのです(ただし、ミュータントへの攻撃が強大になったときは共に結束したりもします)。映画では、単純にマグニートーが悪とは言えないような描かれ方をしていて、物語に深みを与えています。
第1作『X-MEN』は、ミュータントが社会的に台頭するなか、懸念を感じた人類が会議を開き、ミュータントを危険視する議員が登場し、「ミュータント登録法」による監視を訴えはじめ…というお話です。「子どもたちにミュータントの友達や教師を与えるべきか?」と問うシーンもあります。(ミュータントを同性愛者に置き換えると、ほとんど同性愛者の置かれた状況そのものを描いているように思えます)
『X-MEN2』では、アイスマン(エルサと同じ力を持っています)が両親に自分がミュータントであることをカムアウトするシーンがあります。両親は彼に「いつから気づいたの?」「普通の人間になれないの?」と尋ねます。これは明らかにセクシュアルマイノリティのカミングアウトを意識しています(実際、ゲイの俳優イアン・マッケランがこのシーンの脚本にアドバイスをしたそうです)
『X-MEN:ファイナル ディシジョン』では、ミュータントを人間にする「キュア」という薬が現れます。ミュータントたちはこの薬による「治療」をめぐって揺れ動きます。「治療」を強制することはできません。が、「普通の」人間になりたいという願いを拒むこともできないのです。これを開発した製薬会社の社長が息子のエンジェル(翼が生えています)に「キュア」を打とうとし、彼がこれを拒んで窓を割って外に飛び立つ…というシーンも感動的です。
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では、「他者と違う自分を受け容れ、誇りを持つこと」が描かれています。青いうろこ状の肌と蛇のような眼をしたレイブン(のちのミスティーク。誰にでも変身できる能力を持つ)という女の子が、チャールズ(のちのプロフェッサー)と出会い、兄妹のように育ちます。チャールズは、ちょっと瞳の色を変えただけで「人前で変身してはいけない」とキツく諭します。一方、エリック(のちのマグニートー)は初めて「人間の姿にならなくていいんだよ。そのままの君が美しい」と言い、青い肌のレイブンにキスをするのです。そうしてレイブンは、チャールズを捨て、エリックと共に歩むことを決意するのです。別れ際、彼女はこう言います。「自分に誇りを持って」
『X-MEN』『X-MEN2』を監督したブライアン・シンガーは、バイセクシュアルであることをオープンにしている方です。それゆえに、このような「セクシュアルマイノリティ・メタファー」が色濃く表現されているのだと言われています。特に『X-MEN2』でのカミングアウトのシーンに心を揺さぶられたゲイの方は多かったようです。
ゴトウが最もリスペクトする映画評論家(おすぎさんじゃなくてごめんなさい!)の町山智浩さんは、『X-MEN』誕生の時代背景として、公民権運動が盛り上がっていたこと(プロフェッサーとマグニートーの対立は、非暴力を貫いたマーティン・ルーサー・キングJr.と、暴力も辞さないスタンスのマルコムXのことが念頭にある)、そして作者のスタン・リーがユダヤ系(ホロコーストから逃れてアメリカに渡ってきた人たちの息子の世代)であることなどを指摘しています(詳しくはこちら)。「ユダヤ人差別とか黒人差別に、さらにもちろんミュータントの話ですから身体障害者差別っていうのも入っていて。で、そこにさらにゲイ差別って。いろんな差別をのっけて、差別全般の物語になっているんです」