新潟市もよく前例のない劇場専属舞踊団の立ち上げを受け入れましたね。
金森>確かによく決断してくれたと思います。でも新潟市としては、たぶんここまでやるとは思わなかったんでしょうね。私自身、劇場文化や地方行政に関して全く未知だったし無知だった。ただ舞踊家として日本にこういうものをつくるべきであるし、ないのはおかしいという気持ちだけはあった。そもそもヨーロッパではそれぞれの劇場に芸術監督がいて当たり前だし、医者のいない病院なんてありえないのと同じで、専門家のいない劇場なんてありえない。日本はバブルでお金が沢山あったころ、取りあえず建物をバーンと建てちゃった。だから、劇場の理念はさておき、箱だけはいっぱいある。全国に2000くらい劇場があっても、専属舞踊団はひとつもないという状態が続いていた。
『NINA - 物質化する生け贄』(2005年) 撮影:篠山紀信
新潟市に日本初の劇場専属舞踊団ができるーー。歴史の1ページ、新しく何かが始まるということは感じてました。けれど、それがどれだけ大変かということはわかっていなかった。劇場側も同じ。やると言ってはみたものの、そのために何が必要か誰もわかってなかった。自分としては新潟市がやると言ってくれたから、日本にも初めて劇場専属の舞踊団ができるんだってすごく喜んだし、これからだって思った。だけど、認識が全く違ったんです。
最初にしたのは予算の交渉です。カンパニーをつくるときの大前提は、舞踊家に給料を払うこと。舞踊活動だけでしっかり生活できるだけのものを与えることだと。“じゃあ、いくら欲しいんだ”というから“これだけは必要だ”と提示して、“舞踊家は何人必要なんだ”というから“これだけだ”と言って……。そこからのスタートだから、すべてゼロからの交渉でした。それに新潟市としては、それだけのものを払えばもういいだろうと考えていたと思う。
舞踊団を立ち上げても、毎日稽古をするとは考えてないし、スタジオを優先的に使うとは思ってない。日本の劇場はたいてい貸館として運営されているので、お金を払えば誰でも使うことができるんです。だから市民に貸すような感覚で、なんとなく舞踊活動をサポートしてあげればいいだろうと考えていたんだと思う。設立後3年間は、我々も一般市民と同じように“スタジオを借ります”と事前に申請して押さえておかなければならなかった。優先権がなかったんです。3年後に継続の話が出たとき、条件として提示してようやく優先的に利用していいということになりました。
更衣室だって必要だとは考えてなくて、着替えなんてスタジオの隅ですればいい、というくらいの意識。だけど、更衣室もなくトイレで着替えたりなんて専属舞踊団としてありえない。当たり前のように朝から晩まで毎日スタジオを使うし、稽古後も各自が自習に使えるように開けておいて欲しいと要望しました。というか、劇場って本来そういうものですから。劇場を管理運営している人たちが、今までと違うことを導入するのを嫌がることはわかっていた。でもそれは変えなきゃいけないと思った。
『sense-datum』(2006年) 撮影:篠山紀信