もう一つのエックスデー
米長とソフト・ボンクラスの対局が2012年1月に行われたことはすでに述べた。そして、さらに前述したように、この年の終わりに米長が逝くのである。つまり、米長にとって、人生最後の年は「ソフトVS棋士」をテーマとした一年になったのである。米長は知っていた、己がガンであることを。そして、その事実を世間に対して隠すこともなく、あらゆるメディアで公言していた。ここでも先手を取っていたのだ。米長ほど先を読める男が、この時期に自身の死を予感していなかったとは思えない。だからこそ、その前に決着をつけたかったのでないか。いつの日かプロ棋士がソフトに敗れる。2つのエックスデーに備え、今、ここで先手を取っておかねばなるまい。それは、それまで同様、本能に近い米長の行動原理だ。人生を将棋にたとえれば、詰むか詰まされるかの勝負の時「終盤の寄せ」である。ここで彼は、エキシビジョンなどという形態を取らず「公式戦」という巨大な石を投げ込んだのだ。死をどこかで意識しながらのこの決断は、まさしく「さわやか流」であった。一方で、彼の将棋は「泥沼流」である。もちろん、その真骨頂も発揮された。
「どっちでもええやないか」で引きずり込んだ泥沼流
「どっちでもええやないか」これは、米長がボンクラスとの「電王戦」敗戦後の記者会見で発した答えである。
その席で米長はこの棋戦を「でん(のう)せん」と言い、進行役は「でん(おう)せん」と読んだのである。両者の違いに「どちらが、正しいのか?」と言う記者の質問はまっとうであろう。それに対して米長は言い放った。
「将棋連盟というところは、どっちでもええやないかという団体でございます」
当然のごとく、会場は笑いに包まれる。続けて米長が次回の電王戦は「5対5の団体戦」と発表したところ、質問が来た。それ以降はどうなるのですか?来年までで電王戦は終わりですかと。その問いにはこう答えた。
「あなたの結婚生活と同じです。続くだろうと言うことでやっていくということです」
またも笑いが起きる。茶の間で視聴していた私も、思わず笑ってしまった。奈良時代からの歴史を持つとも言われる日本将棋。千年をはるかに越える歴史の中で初のソフトVS棋士を公式戦にするという、言わば火中の栗を拾うという英断をした彼は、それでも、世間に対しておどけて見せた。彼らしいと言えば、その通りである。しかしである。しかし考えてみてほしい。この「電王戦」は将棋界の未来に関わる大きな転換点となるやもしれぬ棋戦なのである。しかも、己の生涯最後の大仕事となってしまうことも十分に考えられる棋戦なのである。その棋戦の名を、いかな米長といえども「どっちでもええ」と思っていたとは、私には考えにくい。重ねるように「あなたの結婚生活と同じように、続くだろう」などと笑いながら語るのは、到底本心からとは思えない。もちろん、彼一流の「ちゃかし」表現であろう。だが、笑いの中に、ふと私は思った。これは米長の最後の戦略ではないのか。そして、それこそ、米長の一生を総決算する戦略なのではないか。
巨大なミラーボール(イメージ)
後編はこちら
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。