将棋/将棋棋士紹介

米長邦雄(前編)~先手を指し続けた男(2ページ目)

かつて「泥沼流」と称される棋士がいた。故・米長邦雄永世棋聖である。彼の人生は、まさしく波瀾万丈。放つ言動は棋界を越え、世間に広がる「先手」であった。米長が生涯をかけて挑み続けたものとは何だったのか。その謎に迫りたい。

有田 英樹

執筆者:有田 英樹

将棋ガイド


八百長問題に先手・米長哲学

相撲界も八百長問題で揺れた(イメージ)

相撲界も八百長問題で揺れた(イメージ)

棋士は勝負師でもある。その点で力士や野球選手などと同じである。そして、遺憾なことではあるが、勝負であるがゆえにつきまとう暗影がある。「八百長」問題である。八百長という言葉は、八百屋の長兵衛(ちょうべえ)が囲碁の勝負でわざと負けていたことが由来だ。大相撲が「八百長」問題で激震に見舞われたことは記憶に新しい。

 
だが、少なくとも現在の将棋界は八百長問題とは無縁だ。それはなぜか?実はこの問題に関しても、米長は世間に先手を指していたのだ。彼は常日頃からこう語り、その著書にも書いてきた。曰く……。

「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球する。そうでなければ勝利の女神に見放される」

これを米長哲学、あるいは米長理論という。人は自分にとって大切な勝負なら全力を尽くせる。しかし、自分にとって重要でない勝負には、気が抜けてしまう場合がある。ましてや、相手にとって大きな意味を持つ勝負なら、そこに情実が入ってしまう場合がある。だから、そんな時こそ全身全霊をかけて相手を倒しにいくという気持ちが勝負師には必要なんだ。彼は常に熱く語っていた。米長哲学の特徴はその結論にある。「勝利の女神に見放される」と言うのだ。罰則ではなく、敬虔なるものへの精神を問うているのである。この哲学は多くの棋士達の共感を呼び、将棋界の常識とも言える心構えとなっていった。だから、他の競技での八百長問題が発覚したとき、彼は日本将棋連盟会長として胸を張ることができた。

「将棋界には八百長はない。これは会長の私が断言する。米長哲学が浸透しているからである。この教えは骨の髄まで浸透しきっている」

あの羽生善治(関連過去記事)も骨の髄まで浸透していた一人だ。だから羽生は米長の死に際し、まっさきに米長哲学のことを語っている。

「自分にとって無関係な一局こそ、全力を尽くすという米長哲学は将棋界の要であり、礎でもあります。会長はいつも周囲を明るくして連盟の運営に打ち込まれていました。鬼気迫る姿からたくさんのことを教えていただきました」と……。


人工知能へ先手・電王戦

今では当たり前となってしまった「ソフト対棋士」の対局。これを「電王戦」という公式戦として始めたのは米長だった。2012年1月のことであり、その先兵として出場したのも彼だったのだ。米長はその著書「われ敗れたり」でも、いつの日かプロ棋士が勝てなくなると予想している。ならば、対局しないという方法も選択できたはずだ。特に彼は日本将棋連盟会長という総本山の頂きに位置していたのだ。対戦拒否は、そう難しいことではなかった。実際にそれまでの彼はプロ棋士とソフトとの公開対局を禁止していたという経緯もある。だから「公式戦」とせずに、2007年特別対局として行われた「竜王(当時)・渡辺明VSソフト・ボナンザ」のように、エキシビション的に単発開催することも可能だったはずである。ちなみに、この時の状況は、「1秒間に1億3手読む」と言われた佐藤康光・永世棋聖とのエピソードも含め「われ敗れたり」に詳しい。ぜひ、ご一読願いたい。

  
ボナンザとの対戦後、渡辺はこう語っている。

「(ソフトが)こんなに強くなっていると言うことを、みんな知っておいた方が良い」

みんなとは、もちろんプロ棋士を指す言葉だ。この時点で、ソフトとの対戦は渡辺竜王をもってしても「危ない橋」となっていたのだ。さらにソフトはハードと共に日進月歩の躍進を遂げていく。米長は感じていたはずだ。エックスデーは遠くはないと。そして3年後の2010年、新たな衝撃が走る。今度は女流ナンバーワンだった清水市代女流王将がスーパーコンピュータに搭載された「あから2010」に敗れたのだ。ここで、もう一度書く。このような状況にもかかわらず、なぜ、彼は公式戦に踏み込んだのか。将棋はあくまで人間と人間の戦いであり切磋琢磨である。ソフトはソフト同士でその能力を競えばよい。そう言えば、世間から納得を得られた可能性はある。だのに、なぜ?それは、もう一つのエックスデーが関連していたのではないだろうか。私にはそう思えるのだ。
 
 

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