設立10周年記念公演の題材に『カルメン』を選ばれたのは何故でしょう?

金森>以前メンバーに行ったアンケートの中で、井関佐和子が“『カルメン』を踊ってみたい”と書いていたことがありました。そのとき、“そういえばオペラやバレエの『カルメン』は知ってるけれど、原作を読んだことはないな”と思って……。改めて原作を読んでみたら、面白かったんですよ。

一般的にオペラで上演されているみなさんお馴染みの『カルメン』は、メリメの原作から一部分を抜粋したものなんです。舞踊でもマイヤ・プリセツカヤが委嘱制作で踊ったり、マッツ・エックが創ったり、オペラのホセとカルメンに焦点をあてたバレエ版という形で舞台化されていますよね。しかし、私自身の『カルメン』はあくまでもメリメの原作からオリジナルの脚本を書いたもの。なので、オペラには登場しないような人物も登場するし、同時にオペラにしか登場しないキャラクター、原作には出てこないキャラクターも使っています。メリメの原作、そして今まで上演されてきた作品のさまざまな要素を踏まえ、Noismなりの『カルメン』をつくっている感じです。

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劇的舞踊『カルメン』リハーサル 撮影:遠藤龍


原作の中で一番惹かれたのが、小説の在り方でした。原作では学者が旅をしていて、ホセと呼ばれる男とカルメンと呼ばれる女が出会います。物語は学者の視点で語られていくけれど、いつしか一人称がホセになり、ホセの物語に転換してゆく。それがぽんぽん入れ替わっていくんです。時折“これはムリがあるのでは?”と思うくらい(笑)、人称も変わっていくし、時間軸も飛躍する。その構造自体に、演出家として舞台を創造する上ですごく刺激を受けるものがあって……。

観客にとって舞台とは、そこで行われていることがあたかも現実であるかのように、“完結したひとつの世界”としてみえるもの。しかし原作には、両者の間に学者がいる。観客と舞台の間に学者がいることで、お客さんもまた別の次元で舞台をみることができるんです。それは、物語と呼ばれるものの構造でもある。ホセが話した物語を、学者が語っていく。ひとの物語をまた別のひとが語っていくんです。物語ってそういうものだし、そうやって残っていくものだと思う。その“物語の物語”という構造に、一番強くインスピレーションを受けました。

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劇的舞踊『カルメン』リハーサル 撮影:遠藤龍


なぜ10周年に『カルメン』なのかというと、その物語が持つ構造が自分には一番しっくりくる気がしたというのがありました。例えば、新潟市が“もう劇場専属舞踊団は辞めます”と言ってNoismがなくなるとする。そうすると、全ては物語になる。我々当事者が語る“Noismってこんな集団だったよね”というものと、観ていたお客さんが“Noismってこんなだったよな”というものもまた違う。人々によってさまざまに語られ、さまざまなことが物語として残ってゆく……。

今回は学者役で役者を登場させ、身体表現という言語化されないものとみなさまの間に言語による表現者をひとり介在させます。そうすることにより、メリメの原作の持つ多層的な要素を加味できるのではと考えました。

虚構と現実を行き来する訳ですが、ホセやカルメンがいる世界にも虚構と現実というのはあって。また、そこから一歩出たところにいる学者の中にも虚構と現実がある。それらがうねりのように押し寄せたときに、舞台芸術というものの虚構性が、現実を飲み込むような形でお届けできればと思っています。