建築家は芸術家? 技術者? それともデザイナー?
ここまで、特に海外の建築家が建築だけでなく、家具・インテリアはもちろん、自動車などのプロダクト、そしてグラフィックまでもデザインした例を見てきました。たしかに名作と呼ばれるモダンデザインの椅子は建築家がデザインしたものが圧倒的に多いです。そして、建築家が内装の装飾はもちろん、スプーンなどのカトラリー類、そして商業建築では看板、メニュー、細かいところでは伝票のデザインまでも行っている場合もあるのです。フランク・ロイド・ライトが1890年に東京で設計した「帝国ホテル」では、椅子をはじめとしたインテリアはもちろん、食器までデザインしています。この食器類は日本の陶器メーカー「ノリタケ」が製造を担当し、今ではオリジナルが高値で取引されています(近年、復刻版がノリタケから販売されています)。
1950年のライトによるインテリア。いま見ても新鮮でこのまま現代のインテリアコーディネートの参考になりそう。大胆な幾何学模様のポップな色使い、オリジナル椅子やテーブル、照明機器や採光までもトータルに計算された装飾です。建築を内装までトータルに考えたライトの力量が感じられます。出典:『FRANK LLOYD WRIGHT』タッシェン社2003年
コルビュジエは、よく知られているように画家が出発点で、芸術家としても評価が高い人物です。建築以外で、絵画や彫刻のファインアートだけで展覧会が開かれたり画集も発行されるほどです。さらに版画、映像とマルチに活動したところは、後の建築家、たとえばイームズたちも影響をうけたはず。「近代のダビンチ」と称されることもある、モダニズム建築家の域にとどまらない「アーティスト」といえるでしょう。 日本人建築家はどうでしょうか? 村野藤吾が設計した1978年の箱根プリンスホテルロビーなどは良く知られていますし(ここで使われた低い座面の椅子「スワンチェア」はIDEEから復刻され販売されています)、磯崎新さんの1973年のモンローチェア(天童木工)、最近では妹島和世、西沢立衛両氏のユニットSANAAがラビットチェア(マルニ木工)と呼ばれるカワイイうさぎ形の椅子を発表したりしています。ですが、これらはプロダクト単体の印象が強くて、近年、インテリアコーディネート全体を建築家が行ったという実例はあまり見かけない気もします。
戦後の日本では、インテリアデザイナーと建築家が分業して仕事をした例が見られます。丹下健三は1958年に代表作「高松県庁舎」にプロダクトデザイナーで「ジャパニーズモダンデザイン」の巨匠・剣持勇の椅子を入れ、壁画を画家・猪熊弦一郎に頼んでインテリアを完成させています。1980年代には伊東豊雄さんや坂本一成さんが設計した建築に、家具デザイナー・大橋晃朗さんの作品を使っている例もあります。
現代の建築は、設計者、施工者は分けられていますが、日本では鎖国が解けるまで、建物は「大工と棟梁」が今でいう「設計施工」でつくっていました。棟梁は図面はなく「絵図」と呼ばれるものだけで立派な木造建造物をつくり上げています。大工・棟梁はデザイナーでありエンジニアでもありビルダーでもありました。
ですが、長持、たんす、ちゃぶ台などの家具・調度品は、指物師(さしものし)がつくっていました。さきほど述べた建築とインテリアの分担は、こうした歴史的背景があるのかもしれません。「餅は餅屋」的な考え方でしょうか? そうした文化の中に西欧から、オールラウンドプレイヤーのArchitect(建築家)という概念が入ってきたため当時は混乱したかもしれませんね。
長野県松本市に現存する「旧開智学校校舎」。1875年に東京で西洋建築を学んだ「大工棟梁」の立石清重が設計施工を担当した建物。がんばって日本の技術で、見よう見まねで西洋建築をつくった「擬洋風建築」と呼ばれるものです。
日本では大学の建築学部のほとんどが工学部に分類されていますし、建築書籍は理工学書に分類されているのも、こうした歴史のなごりまもしれません。しかし、西欧、たとえばフランスには17世紀から「エコール・デ・ボザール」という美術学校があって、建築家になるには歴史的な建築物を芸術としてとらえて、総合的に空間をつくる建築教育がされています。このあたりも建築やデザインのとらえ方の根っこの部分が「大工と棟梁」の日本とは違うのかもしれません。
建築に限らず、デザインを語るとき「形態は機能に従う」というコトバがよく使われます。つまり、「デザインは機能を優先させることが大事で、余計な飾りはいらないよ!」ということです。この「機能主義」と呼ばれる考え方は、戦前のドイツのバウハウス教育や、コルビジュエやミース・ファン・デル・ローエの建築も、機能主義の代表として語られることが多い概念(しかし、晩年のコルビュジエは「ロンシャンの礼拝堂」など彫刻的ともいえる建築をつくっていますが……)。
一方、日本のモダニスト丹下健三は、かつて「美しいものは機能的である」と「機能主義」とは間逆の発言をしています。この後付けとも言われかねないセンスに、今のオタク・カルチャーやクール・ジャパンと呼ばれる、一見、俗悪(キッチュ、バッドテイスト?)な趣味のルーツがあるような気がしないでもありません……。建築家の隈研吾さんは、『ヤンキー化する日本』(斉藤環著、角川書店刊。2014年)という本の中で、「丹下さんは、じつは存在そのものがヤンキーな人で(笑)、書いたものを読んでも、すごくはったりとオドシが多い(笑)。」と発言しています。
このように考えていくと、「建築家に資格は必要!」とか、「建築は芸術か? 技術か?」「建築家はアーティストか? エンジニアか?」「建築家はインテリアまでデザインすることが正しいのか?」といったことは、あまり意味のないことのように思えてきます。
個人的な体験ですが、私は、日本人のイラストレーターの方がRC造のカッコいい建物(椅子やインテリアまでも)を設計した事例を見たこともあります。また、コム・デ・ギャルソンで知られるファッションデザイナーの川久保玲さんは1980年代に曲げ合板やスチールのモダンな椅子を発表したり、2010年には韓国・ソウルに自らのデザインでショップの建築もつくっています。こうした作品は建築ジャーナリズム(?)には登場しませんが……。
スペインのイラストレター、ハビエル・マリスカルの本です。マリスカルの名前は知らなくても、バルセロナオリンピックのマスコット「コビーくん」をおぼえている人は多いかもしれませんね。イラストレーターでグラフィック畑の人ですが、写真のようにエビが乗っかったレストラン建築や、椅子などもデザインする多才な人物。ヨーロッパのデザイナーは、ジャンルを超えて幅広く活動する人が多いようです。
しかし、幸いなことに特に若い世代は、そうした島(?)からスルリと抜け出して独自の表現を目指す方向性をもった人々も見られますし、コンピューティングの発達で、あらゆるデザイン領域のボーダレス化が進んでいてます。この境界がなくなった状態は、コルビュジエ、イームズたちが行っていたマルチな活動に通じるところもあるのかもしれません。
また、エンドユーザーの人々の中にも「デザインの目利き」が増えている印象があります。インテリアコーディネートはもちろん、家具までも自分でDIYする人が増えていて、ある意味「アマチュア最強~!」ともいえる状況。ですから「これからの空間デザインは、プロも素人もごっちゃになって、おもしろくなりそうだなぁ」と個人的にはフレッシュなムーブメントが現れることを期待してワクワクしているのです。