再び義貞公の勇姿を
しかし再び郷土のシンボルとして義貞公の銅像の復活を求める声も高まり、2011年に地元の有志の方々を中心に『新田義貞公銅像再建委員会』が発足され、義貞公の銅像再建に向けて動き始めました。やはり一番の困難は再建のための資金の準備でしたが、地元太田市や県内外各地への地道な広報活動が続けられ、その熱意は郷土の英雄義貞公を慕う人々の心を揺り動かし、地元太田市をはじめ県内の各市町村、新田氏ゆかりの新潟県、福井県など、全国各地より多くの寄付金が寄せられました。
銅像の制作は地元出身の彫刻家、脇谷幸正さんが担当されることになりましたが、脇谷さんは義貞公の弟、脇屋義助公の24代目のご子孫ということで、これもまた不思議なご縁です。
まさに新田義貞公の呼びかけに応じた人々のごとく、再び平成の世に人々の心が一つになりました。私も郷土の英雄義貞公を慕う者の一人としてご協力させていただいたことを書き添えておきます。
郷土の英雄の心を語り継ぐ
義貞公銅像除幕式には県内外から多くの人々が参列し、喜びの声に包まれました
「多くの皆様のおかげで、挙兵の地、生品神社に義貞公の銅像がよみがえりました。これからも郷土の誇りとして義貞公の心を伝えていきたい」と銅像の再建に尽力された新田義貞公銅像再建委員会会長の滝沢弘一さん。生品神社参拝の折には、人々の思いとともに再びよみがえった郷土の英雄の勇姿をぜひご覧いただけたらと思います。
毎年5月8日の義貞公挙兵の日には『鏑矢(かぶらや)祭』がとり行われています。出陣前に鎌倉の方角に矢を放って吉凶を占ったという故事にちなんで、地元小学校の児童による初々しい若武者たちが勇ましい掛け声と共に矢を放ち、義貞公の武勇を今に伝えています。
郷土の英雄の心はこれからも語り継がれていきます。
よみがえった義貞公の凛々しい姿
地元児童による鏑矢祭。若武者たちの元気な声が鎮守の森に響き渡ります
■生品神社
群馬県太田市新田市野井町1972
0276-47-1833(太田市観光協会)
ホームページ:http://www.ota-kanko.jp/
地図:Yahoo!地図情報