宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

宝塚歌劇団 戦争からの復活(2ページ目)

わずか16名の少女たちから始まった劇団が、100周年を迎えた奇跡……。様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。そこにいつも あったたくさんの輝石……。宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

宝塚ファンガイド

劇場の閉鎖

「この状況下に、宝塚歌劇など不要不急のものである!」と、東京宝塚劇場に停止命令が出されたのは、翌日(3月2日)に初日を控えた花組公演『国民の歌』の舞台稽古の真っ最中でした(この日より10年以上も東京宝塚劇場が閉鎖されるとは、当時誰も想像できなかったでしょう)。

そして宝塚大劇場が停止されたのは、当時の大スター、春日野八千代主演による雪組『櫻井の駅』『勧進帳』『翼の決戦』の公演中の3月4日。
公演打ち切りを発表してからの2日間は「最後にひとめ観たい」というファンが押し寄せ、その列は劇場から宝塚南口駅まで続いたほどでした。

やがて宝塚大劇場及び稽古場の入った劇団などの施設は海軍に接収され、予科練たちの兵舎に。さらに東京宝塚劇場は陸軍に接収され、風船爆弾の工場に用いられたのです。

行き場を失った生徒やスタッフたちですが、決して諦めませんでした。日本移動演劇連盟に加入し「移動演劇隊」として公演するのが、宝塚歌劇団を残す道だと考えます。近くにあった円形ダンスホールに、衣装や小道具、20台ものピアノを運び、そこを劇団施設とし、稽古を始めました。

移動演劇隊は日本全国に慰問の旅に出かけました。それは国内にのみならず満洲や樺太にも出向き、戦時下の人々を慰めました。
時には、学徒出陣する学生や、明日出発するという特攻隊の前で歌うという辛い場面もありました。
また、軍需工場に動員される下級生や音楽学校生もいました。

「愛と青春の宝塚~恋よりも命よりも~」

(C)フジテレビ

この時代の宝塚歌劇団を表現したドラマ『愛と青春の宝塚~恋よりも生命(いのち)よりも~』(大石静氏原作)が、2002年、藤原紀香さん主演で放送(フジテレビ)され話題を呼びました。
またその後、元タカラジェンヌにより舞台化もされました。


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