世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス(2ページ目)

フランスにルネサンスをもたらし、パリを「芸術の都」に飛翔させるさきがけとなった宮殿がフォンテーヌブローだ。約800年のあいだフランス王たちに愛され続けたこの宮殿は、ナポレオンに「これこそまさに王の宮殿なり」と称されて皇帝の居城となった。ルーヴル宮殿(美術館)、ベルサイユ宮殿と並ぶパリ近郊の三大宮殿のひとつ、世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

フォンテーヌブローの歴史 1.ヴァロワ家とイタリア戦争

三位一体礼拝堂

代々の王たちが礼拝を行った三位一体礼拝堂。神の空間であるため、旧約聖書や新約聖書の物語を主題とする絵画や彫刻が多い

建物と装飾が一体化した空間、華麗な植物・幾何学文様、リアルで肉感的な神々……イタリアのローマやフィレンツェ、ミラノといった都市を訪れたことのある人ならフォンテーヌブローの装飾や絵画にどこか見覚えがあるはずだ。それもそのはず、イタリアで生まれたルネサンスはこのフォンテーヌブローでフランスへと伝えられ、フランスに文化的飛躍をもたらした。

フォンテーヌブロー宮殿と運河

フォンテーヌブロー宮殿と運河。ルイ13世の父アンリ4世は、1200mの大運河と庭園を築いて宮殿の美化を進めた

15~16世紀にかけて、フランスは外交的にとても難しい局面に置かれていた。時代は神聖ローマ帝国(オーストリアやドイツ)を支配するハプスブルク家の全盛期。「戦争は他家に任せよ。幸多きオーストリア、汝結婚せよ」という結婚政策によって、フランスに隣接するスペインやフランドル、ブルゴーニュから中南米やフィリピンに至るまで次々と領地に収め、いずれかの土地には太陽が照っているという「太陽が沈まぬ帝国」を築き上げた。

ハプスブルク家に包囲されたフランスは残された数少ない隣接地のひとつで、当時ルネサンス全盛期を迎え、文化的・経済的に最先端を走っていたイタリアへ触手を伸ばす。これに対してハプスブルク家は教皇や諸都市を味方につけてイタリアに侵入する(1494~1559年、イタリア戦争)。

 

この頃、フランス王家を支配していたのがヴァロワ家だ。ヴァロワ家のシャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世は、イタリア・ルネサンスを支えたフィレンツェのメディチ家やミラノのスフォルツァ家をそれぞれの街から追放してしまう。両家はのちに復帰するが、ルネサンスの栄光が戻ることはなかった。

フォンテーヌブローの歴史 2.フランスへ渡ったルネサンス

玉座の間

玉座の間。左右のポールにはNのイニシャルと黄金の鷲、天蓋にはミツバチが記されている。いずれもナポレオンの象徴だ

ジャン・クルーエ「フランソワ1世の肖像」

ジャン・クルーエ「フランソワ1世の肖像」1535年頃、ルーヴル美術館

イタリア戦争のまっただ中、1515~1547年にフランス王に就いていたのがフランソワ1世だ。自らイタリアに遠征し、神聖ローマ皇帝カール5世に戦いを挑むが、1525年のパヴィアの戦いに敗れると捕虜となり、スペインのマドリードに幽閉されてしまう。

このあとフランソワ1世はイングランドやローマ教皇、さらには新教徒やイスラム教国であるオスマン帝国(オスマン・トルコ)とまで結んでハプスブルク家に挑むが、事態を好転させることはできなかった。

この跡を継いだのがアンリ2世だ。アンリ2世はメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスと結婚してイタリアとの絆を強めるが、イタリアにおける神聖ローマ帝国の優位は崩れなかった。一方、神聖ローマ帝国でもオスマン帝国の圧力や宗教改革の波に襲われて国が疲弊。結局、1559年に両国は和約を結び、イタリア戦争は終焉を迎える。この戦争において、経済面でフランスが得るものはなかったが、文化面では大きな転機を迎えていた。

 

シャンボール城

フランソワ1世が築いたシャンボール城。レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に携わったともいわれている。あくまで狩猟用の城館で、内部装飾は簡素だ

フランソワ1世はイタリア遠征中に知り合ったルネサンスの芸術家たちをフランスに招き、フォンテーヌブロー宮殿を建設する。イタリア・ルネサンスは幕を下ろしたが、フォンテーヌブロー派と呼ばれたイタリア人たちはフランスにルネサンスやマニエリスム(後期ルネサンス)の華やかな文化を浸透させた。

フランソワ1世は他にもルネサンスの影響を色濃く残す多くの城や宮殿を築いている。一例が、世界遺産「パリのセーヌ河岸」のルーヴル宮殿であり、世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」のシャンボール城やブロワ城だ。

ちなみに、息子アンリ2世の妻であるカトリーヌ・ド・メディシスはこの時代にフィレンツェのイタリア料理をフランスにもたらし、新鮮な食材を用いた調理法からナイフやフォークを使った作法まで、フランス料理の基礎を築いた。こちらは無形文化遺産「フランスの美食術」に登録されている。

 
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