神仏が微笑む古代の丘

宮崎県北部に位置する高鍋町。山と海、豊かな自然に恵まれたこの地は古代より人々が定住し、町の北側の台地には持田古墳群と呼ばれる数多くの古墳が残されています。その一角、海と町を一望する高台に不思議な石像群がそびえ立っています。それが高鍋大師の石仏群です。

一歩境内に入れば、誰もが驚く光景。大きいもので約7メートル以上、イースター島を彷彿させる巨大な石仏が立ち並び、そしてその足元には沢山の小さな石仏が並んでいます。まつられている石仏の種類を見れば、観音菩薩、地蔵菩薩、不動明王からアマテラスオオミカミ、稲荷大明神まで、あらゆる神様仏様が一堂に集い、そしてそのほとんどがやさしい微笑みをたたえ、語りかけてきます。
高鍋大師

高鍋大師があるのは街を一望できる丘の上。神仏たちが人々を見守っています

石仏群の作者、岩岡保吉さん

岩岡保吉さんの道具

今も残されている保吉さんが石仏を彫るのに使用した道具

この石仏群の作者は四国出身で、高鍋町で精米業を営んでいた岩岡保吉さん。 事業に成功して一代で財を成した保吉さんは、40歳にして次の人生を歩み始めます。それがこの高鍋大師の創設。

海を挟んだ四国霊場を熱心に巡拝していた保吉さんは、この地に四国霊場の写し霊場を作ることを決意。私財を投じて石材を求め、さらに自らの手で石仏を刻むために石工を招いて石彫を学び、見事四国霊場八十八か所の本尊の姿を彫り上げ、自身も僧籍を取って「弘覚」と名乗り、高鍋大師を開いたのです。

保吉さん流、その造形の世界

高鍋大師・毘沙門天

目にビー玉を使用した石仏。身近な品々を取り入れる方法も保吉さんならでは

その後も保吉さんの創作意欲は衰えることなく、70代にして保吉さんが取りかかったのはなんと約6メートルの大きな弘法大師の像。その時、保吉さんが考え出した方法は小さな石材をつなぎ合わせる方法。

我が国の仏師の技法に小さな木材を組み合わせて大きな像を作る「寄木造」がありますが、まさに保吉さん流の「寄石造」といえます。高鍋大師には9体の6~7メートル級の大きな石仏がまつられていますが、その全てが70~80代にかけて製作されたものです。

さらに保吉さん流の石仏の技法として、「身近なものの転用」があります。我が国の仏師たちは仏像の眼をリアルに表現するために眼に水晶を嵌めこんだ玉眼を用いましたが、保吉さんが用いたのはなんとビー玉。緑色に輝く瞳の石仏は実に愛らしいです。

天岩戸より神々しい光をまとって現れたとされるアマテラスオオミカミは石材の一つ一つに反射鏡を取り付けてその光を表現するなど、様々なアイデアを駆使して、一心に神仏たちの姿を彫り続けました。
高鍋大師・アマテラスオオミカミ

神々しい光に包まれたアマテラスオオミカミ。反射鏡を取り付けた身体は太陽の光を受けて輝いています