ベネチアの歴史 1.海洋都市国家ベネチアの誕生
カナル・グランデと、巨大なクーポラはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。この教会はクロード・モネ、ポール・シニャック、カナレット、ウジェーヌ・ブーダンをはじめ多くの画家に描かれ、また教会内にはティッツィアーノ、ティントレットら多彩な絵が飾れている
7世紀には潟全体を統括する共和制の政体が誕生する。ベネチア共和国だ。ベネチアの人々は海とともに暮らしており、造船技術に長けていたことから早くからアドリア海に進出。その勢いでイオニア海やエーゲ海にも進出した。
サン・マルコ大聖堂の黄金装飾
この頃イタリアではアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ベネチアという四大海洋都市(いずれも世界遺産)が栄えていたが、アマルフィはピサに、ピサはジェノヴァに敗れて衰退し、14世紀にベネチアはジェノヴァを破って地中海商業圏の支配者となった。
14~16世紀、東方貿易によって得た莫大な利益を背景に、フィレンツェやミラノ、ローマの貴族たちは芸術家を庇護。これによってルネサンス(文芸復興)がはじまり、ヨーロッパは古代ギリシア・ローマ時代以来となる芸術・科学の飛躍的発展を遂げる。
フィレンツェ、ミラノ、ローマはフランスと神聖ローマ帝国の侵入(イタリア戦争)によって衰退するが、ベネチアはヴェローナやヴィチェンツァとともにその後を受けて後期ルネサンスの中心地として開花する。
ベネチアの歴史 2.衰退と世界遺産登録
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から望むサン・マルコ広場周辺。中央の塔がサン・マルコ鐘楼、右がドゥカーレ宮殿、左がマルチアーナ図書館。ドゥカーレ宮殿最大の見所はティントレット「天国」
レンガ造りとシンプルな意匠が美しいサンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会
このあともバルカン半島を占領したオスマン帝国と抗争を繰り広げ、17世紀にはキリスト教国の堤防となって戦い、大トルコ戦争に勝利。それでも海洋帝国に返り咲くことはできず、1797年、フランス共和国のナポレオンに占領されてベネチア共和国は滅亡した。
その後ベネチアは宗主国をしばしば変えたが、1866年のプロイセン・オーストリア戦争でイタリア王国に組み込まれた。
1987年に世界遺産登録された際には、海上都市の景観とルネサンス建築の美しさ(i)、立地や東方貿易によって東西文化交流の跡を留めていること(ii)、中世のキリスト教・イスラム文化の重要な証拠であること(iii)、ルネサンス前後の重要な建築物を有する点(iv)、潟と島という自然環境を見事に利用している点(v)、マルコ・ポーロをはじめ世界の文化交流のさきがけとなった点が評価され(vi)、文化遺産登録基準6項目のすべてでその価値が認められた。