世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ベネチアとその潟/イタリア(4ページ目)

400の橋、177の島、150の運河からなる水の都ベネチアは地中海最強を誇った海洋都市国家。ルネサンスの舞台でもあり、ビザンツ・ルネサンス・バロック・イスラムが混在する華麗な建築物が立ち並んでいる。裏通りを歩けば運河と歩道が入り組んだ迷路のような家並みが広がっており、舟巡りと町歩きが最高に楽しい街でもある。今回は文化遺産登録基準6項目をすべて満たしたキング・オブ・世界文化遺産「ベネチアとその潟」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ベネチアの歴史 1.海洋都市国家ベネチアの誕生

カナル・グランデとサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会

カナル・グランデと、巨大なクーポラはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。この教会はクロード・モネ、ポール・シニャック、カナレット、ウジェーヌ・ブーダンをはじめ多くの画家に描かれ、また教会内にはティッツィアーノ、ティントレットら多彩な絵が飾れている

ベネチアの歴史は3世紀以降の民族大移動にはじまる。ゲルマン民族を中心にヨーロッパにさまざまな民族が移住をはじめると、ベネチア周辺に住んでいた人々は干潟に逃げ込み、海底に杭を打ってその上に家を建て、あるいは島に運河を張り巡らせて海上生活を開始した。陸地は便の悪い干潟、海は砂州と島々によってアドリア海から隔離されており、3つの水門を閉じれば封鎖も可能な天然要塞。こうして陸からも海からも攻められない海上都市を築き上げた。

7世紀には潟全体を統括する共和制の政体が誕生する。ベネチア共和国だ。ベネチアの人々は海とともに暮らしており、造船技術に長けていたことから早くからアドリア海に進出。その勢いでイオニア海やエーゲ海にも進出した。

サン・マルコ大聖堂の黄金装飾

サン・マルコ大聖堂の黄金装飾

ベネチアにとって海こそが領土(領海)。それを守るために数多くの軍艦を建設し、防衛に当てた。10世紀、アドリア海で名を馳せるベネチアに対し、ビザンツ帝国はエーゲ海の海上防衛を依頼。その代償に免税特権を得て、ベネチアはトルコや西アジア、アフリカをつなぐ東方貿易で優位に立った。主に取り引きされたのはアジアからもたらされる香辛料とアフリカから持ち込まれる金だ。

この頃イタリアではアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ベネチアという四大海洋都市(いずれも世界遺産)が栄えていたが、アマルフィはピサに、ピサはジェノヴァに敗れて衰退し、14世紀にベネチアはジェノヴァを破って地中海商業圏の支配者となった。

14~16世紀、東方貿易によって得た莫大な利益を背景に、フィレンツェやミラノ、ローマの貴族たちは芸術家を庇護。これによってルネサンス(文芸復興)がはじまり、ヨーロッパは古代ギリシア・ローマ時代以来となる芸術・科学の飛躍的発展を遂げる。

 

フィレンツェ、ミラノ、ローマはフランスと神聖ローマ帝国の侵入(イタリア戦争)によって衰退するが、ベネチアはヴェローナやヴィチェンツァとともにその後を受けて後期ルネサンスの中心地として開花する。

ベネチアの歴史 2.衰退と世界遺産登録

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から望むサン・マルコ広場

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から望むサン・マルコ広場周辺。中央の塔がサン・マルコ鐘楼、右がドゥカーレ宮殿、左がマルチアーナ図書館。ドゥカーレ宮殿最大の見所はティントレット「天国」

1453年、イスラム教国であるオスマン帝国(オスマン・トルコ)がコンスタンティノープルを落としてビザンツ帝国が滅亡。1538年にはベネチアをはじめとするキリスト教国の連合軍がオスマン帝国に敗れ(プレヴェザの海戦)、地中海東部の制海権を失ってしまう。

サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会

レンガ造りとシンプルな意匠が美しいサンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会

1498年のヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見や1492年のコロンブスによるアメリカ大陸到達で大航海時代が幕を開ける。香辛料は東南アジアから、金や銀はアフリカやアメリカ大陸から直接・大量に持ち込まれるようになり、地中海貿易は衰退。ベネチアの繁栄も終わりを告げる。

このあともバルカン半島を占領したオスマン帝国と抗争を繰り広げ、17世紀にはキリスト教国の堤防となって戦い、大トルコ戦争に勝利。それでも海洋帝国に返り咲くことはできず、1797年、フランス共和国のナポレオンに占領されてベネチア共和国は滅亡した。

その後ベネチアは宗主国をしばしば変えたが、1866年のプロイセン・オーストリア戦争でイタリア王国に組み込まれた。

 

1987年に世界遺産登録された際には、海上都市の景観とルネサンス建築の美しさ(i)、立地や東方貿易によって東西文化交流の跡を留めていること(ii)、中世のキリスト教・イスラム文化の重要な証拠であること(iii)、ルネサンス前後の重要な建築物を有する点(iv)、潟と島という自然環境を見事に利用している点(v)、マルコ・ポーロをはじめ世界の文化交流のさきがけとなった点が評価され(vi)、文化遺産登録基準6項目のすべてでその価値が認められた。
  • 前のページへ
  • 1
  • 3
  • 4
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます