霊長というステイタス
なにゆえ、我々は人工知能に敗れることを恐れるのか。例えば、野球。現在、最速のピッチングマシーンは時速200kmを超す剛速球を投げることができると言う。メジャーリーガーをはるかに上回る球速だ。だからといって、それを脅威に思うプロ野球選手はいない。例えば相撲。小型ブルドーザー相手に押し相撲で勝てる横綱はいない。だが、そんなことは話題にもならない。なぜか。人類は負け慣れているからである。すでに述べたように、太古から、馬の速度やゾウの圧力を上回る身体能力を有する人間は存在したことがない。つまり、負けからスタートしていたのである。だが、思考は違う。万物の霊長であるというステイタスは譲るわけにはいかない。知的能力から見れば、人類は自然界、最高である。メディアで脚光を浴びる賢いチンパンジーでさえも、人間にすれば3歳児並みの知能だという。頭を使わせたら、人間の圧勝だ。おつかいの真似事ができる犬はいても、新聞を読み、ATMで預金をおろせる犬はいない。そして、その高い知能ゆえ、ひ弱な体力でありながら、弱肉強食の自然界を生き抜き、現代文明を築いてきた。知能に、生存をゆだねてきたのだ。だから、たとえ機械であろうとも、知能の勝負で負けることは衝撃なのである。もちろん、その機械も人間が生み出したのだから、結局は人類の知能の証であるという矛盾は抱えているようには見える。だが、そうではない。600馬力の車は、自らの力でその馬力を向上させることはできない。だが、人工知能は自らの力で、知能をグレードアップすることができる。人類が歴史の中で実践してきた「思考の肥大化」だ。答えのない問いへの思考
ここで計算力について考えてみたい。例を出そう。「3675x278696」の計算をすれば、早さと正確さで電卓に勝つ人はいないだろう。だが、電卓の出現は「マトリックス」を生まなかった。つまり人類にとって、ショックではなかったのだ。なぜなら、計算には答えがあるからだ。だが、チェスにおいて、初手はどれが良いのか。必勝法は何なのか。現在のところ、答えがあるだろうということは、わかってはいる。だが、答えを導く方法は見つかっていない。そう言う意味ではマンモスから逃げまどっていた状態と変わらない。だが、マンモスを倒したように、迷宮に対し知恵を絞る力は、人間が最高である。そう信じることが、万物の霊長としてのアイデンティティーを支えてきたのだ。そのチェスで人類の最高峰が敗れた。繰り返す。だから、衝撃が走ったのである。10の120乗という世界で、少なくとも人類を上回ったと実感した人工知能は、極東で生まれた10の220乗という世界に目を向けた。そう、将棋である。
そして将棋へ
将棋には答えがない
両者とも、古代インドの「チャトランガ」という競技を祖先に持つだろうと言われている。つまり、けっこう似ているのだ。では、どこが違うのか?まず、盤面のマス目の数が違う。チェスの64マスに対し、将棋は81マスだ。駒も、合計6種類32個のチェスに対し、将棋は8種類40個と、将棋の方が多い。また、敵陣に入り、成り駒へと昇進できる駒はチェスは1種類。将棋は、玉と金以外は、すべて成り駒に昇進できる。そして、何より、大きく違っているのは、相手からとった駒を、自分の駒として使えるというルールが将棋にはあることだ。
以上のようなシステムの違いにより、1回の対戦で可能な指し手の組み合わせの数が大きく異なってしまった。
将棋の指し手はすでに述べたように10の220乗だ。あなたは、この数字にピンとくるだろうか?「1」のうしろに「0」を220個つけねばならないのだから、もはや数というよりも幻とも言える領域だ。ちなみに、(無量大数) X (無量大数)は、10の136乗だ。まだ足りない。さらに無量大数をかけてみよう。(無量大数) X (無量大数) X (無量大数)は10の204乗だ。う~む、これでも及ばない。驚くなかれ、全宇宙の分子の数より多いかもしれないと言われる数なのだ。
断っておきたい。だから、将棋の方がチェスより優れた競技だなどと主張したいわけではない。そもそも、こんな比較は「100メートル走とマラソンのどちらが優れているか」という愚問同様に意味がない。あくまでも、指し手の組み合わせの数を比較しただけのことである。そして、それは人工知能にとっては大きなことなのである。より多くの場合の数、つまり多数のシミュレーションを少ない時間で再現し解明する能力は、人工知能のステイタスに直結する価値観なのである。もちろん将棋にもチェス同様に、必勝の答えを探すための道しるべはない。
その名はボナンザ
挑んできた人工知能/イメージ
それでも・・。プロ棋士の壁は高く、厚かった。だが、厚かった壁が、少しずつ振動を始める。「最近のソフト、強いよね」そんな声が出始める。名の知られたアマチュア高段者がソフトに敗れたという話が、人の口にのぼるようになる。「プロも負けたらしいよ」。まことしやかにささやかれる。棋界に進撃の巨人(関連過去記事)の足音が聞こえ始める。日本将棋連盟は、ソフトとプロ棋士との「公開の場での平手対局」を原則として禁止する。このことはNHKのニュースでも流された。したがって、世間一般が巨人の足音を聞くことになる。世間は興味を抱く。そして思う。「ひょっとして、将棋連盟はソフトを恐れているのではないか」。思いは声になる。声は連盟に届く。届いた声は、圧力ともなる。そして、2007年……。とうとう当時の連盟会長だった米長邦雄は決断をする。プロ棋士と人工知能との闘いを認めたのだ。その経緯、また駆け引きは過去記事「米長邦雄(前編)-先手を指し続けた男」を参考にしていただきたい。米長の人生においても、この闘いは大いなるドラマであった。
「ディープ・ブルー」から10年の歳月を費やし、プロ棋士に挑戦する人工知能が出現したのだ。その名は「ボナンザ」だった。
待ち受ける大陸は、渡辺明・竜王
ボナンザとはスペイン語であり、その意味するところは「大発見」である。余談になるが、「大発見」と言えば、コロンブスを思い出す人も多いのではないだろうか。コロンブスの航海を援助したのもスペインだった。コロンブス自身はスペイン生まれではないが、スペイン語には堪能だったという。では、アメリカ大陸を目にした彼は叫んだかもしれない。「ボナンザ!!」
ボナンザは当時、最強の将棋ソフトであった。前年に行われた世界コンピューター選手権に優勝していたのだ。米長は受けて立つプロ棋士の選定に入る。そして、その候補は、超一流のプロ棋士達だった。誰が受けるのか。海を渡ったボナンザの前に姿を現した大陸は、棋界に燦然と輝く「竜王位」に座る男だった。その名は渡辺明。
映画「マトリックス」で幻の世界を作り出したのは、コンピューターだった。さて、81マスの現実世界でありながら10の220乗という幻とも言える世界を支配するのは渡辺竜王の頭脳か人工知能か。こうして、将棋が霊長というステイタスを賭けた舞台となっていったのである。
VS
(第一章・了)
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述に関して」
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